ブリング・ザ・ハウス・ダウン – Wikipedia
『ブリング・ザ・ハウス・ダウン』(原題 : We’ll Bring The House Down)は、イギリスのロックバンド・スレイドの9作目のスタジオ・アルバム。 イギリスで1981年3月13日に発売されたのち、全英アルバムチャートで最高位25位を獲得[2]。本作は8曲目の「マイ・ベイビーズ・ガット・イット」を除き、バンドによるセルフプロデュース作品となっており、同時に1980年のレディング・フェスティバル出演後に発売された初のスタジオ・アルバムでもある。
1976年以降、スレイドはチャートアクションが鈍り、ライブにおいても観客が減少するなど、人気が低迷していた。さらに、1977年にはポリドール・レコードとの契約が打ち切られたほかチャス・チャンドラーと決別することとなった[3]。
そんな中、1980年8月のレディング・フェスティバルに出演予定であったオジー・オズボーン・バンドが出演をキャンセルし、代打としてスレイドが出演することとなった。レディング・フェスティバルでの演奏が高く評価され、これに乗じて、バンドは9月にフェスティバルでライブ録音された3曲をフィーチャーしたEP『Alive at Reading』を発売し、全英シングルチャートで最高位44位を獲得[4]。 同年11月に元レーベルのポリドール・レコードからコンピレーション・アルバム『Slade Smashes!』が発売された。同作は全英アルバムチャートで最高位21位を獲得し、12月時点で20万枚以上の売上を記録し、ゴールド認定を受けた[3]。
1981年1月に本作からの先行シングルとして『ウィール・ブリング・ザ・ハウス・ダウン』が発売され、全英シングルチャートで最高位10位を獲得[5]。 3月には同名のアルバムが発売され、全英アルバムチャートで最高位25位を獲得[6]。同月に本作からの第2弾シングル『ホイールズ・エイント・カミング・ダウン』が発売され、全英シングルチャートで最高位60位を獲得した[7]。
特記がない限り、作詞作曲はノディ・ホルダーとジム・リーによるもの。
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
---|---|---|---|
6. | 「デイジー・ママ」(Dizzy Mamma) | ||
7. | 「ナッツ・ボルツ・アンド・スクリューズ」(Nuts Bolts And Screws) | ||
8. | 「マイ・ベイビーズ・ガット・イット」(My Baby’s Got It) | ||
9. | 「レミー・ラブ・イントゥ・ヤー」(Lemme Love Into Ya) | ||
10. | 「アイム・ア・ロッカー」(I’m A Rocker) | チャック・ベリー | |
合計時間: |
# | タイトル | 作詞・作曲 | 時間 |
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11. | 「チャケータ」(Chakeeta) | ||
12. | 「ドント・ウェイスト・ユア・タイム(バック・シート・スター)」(Don’t Waste Your Time (Back Seat Star)) | ||
13. | 「サイン・オブ・ザ・タイムズ」(Sign Of The Times) | ||
14. | 「アイム・マッド」(I’m Mad) | ||
15. | 「ジニー・ジニー」(Ginny, Ginny) | ||
16. | 「ナット・トゥナイト・ジョセフィーヌ」(Not Tonight Josephine) | ||
17. | 「オーケイ・コーキー」(Okey Cokey) | ジミー・ケネディ | |
18. | 「ナイン・トゥ・ファイヴ」(9 To 5) | ||
合計時間: |
曲の解説[編集]
「ウィール・ブリング・ザ・ハウス・ダウン」は、1977年以来となる全英シングルチャートにチャートインしたシングル作品で、オールミュージックのジェフリー・ギンズバーグは「絶対に聴くべき」と評している[1]。
「ナイト・スターベイション」は、1980年に発売されたEP『Six of the Best』に収録されていた楽曲で、イギリスでは同年にプロモーション・シングルとしても発売された[8]。
「ホエン・アイム・ダンシン・アイ・エイント・ファイティン」もEP『Six of the Best』に収録されていた楽曲で、オールミュージックのジャフリー・ギンズバーグは、「純粋なクラシックスレイド」と評している[1]。
「デイジー・ママ」は、1979年に発売されたシングル『ジニー・ジニー』のB面曲[9]。
「ナッツ・ボルツ・アンド・スクリューズ」は、EP『Return to Base』に収録されていた楽曲。この2曲は、アルバムに収録するにあたり、ポートランド・スタジオでリミックスが施された[10][11]。
「レミー・ラブ・イントゥ・ヤー」は、翌年にジム・リーのソロ・プロジェクト「Greenfields of Tong」の楽曲「Poland」としてリメイクされ、スピード・レコードからシングル盤として発売された[12]。なお「レミー・ラブ・イントゥ・ヤー」は、1979年にスレイドファンクラブで行われたファン投票の「ベスト・アルバム・トラック」部門で2位にランクインした[13][14]。
クレジット[編集]
- スレイド
- 外部ミュージシャン
出典[編集]
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