豊田市立追分小学校 – Wikipedia

豊田市立追分小学校(とよたしりつ おいわけしょうがっこう)は、愛知県豊田市近岡町にある公立小学校。

  • 井ノ口町、篭林町、田振町、近岡町、岩神町が校区であり、公立中学校の進学先は豊田市立足助中学校である[1]
  • 豊田市の小規模特認校に指定されており、一部は豊田市内の別の校区から転入学してきた児童である[2]
  • 旧・東加茂郡足助町の一部(盛岡村)の小学校であった。

追分小学校の創立年は明治26年(1893年)である。これは追分尋常小学校となった年である。ここではそれ以前についても記述する。

  • 1875年(明治8年)
    • 6月 – 大島村、田振村、元山中村、則定村で足助学校の分教場の設置を愛知県に請願する。
    • 12月 – 第148番小学大島学校として開校する。
  • 1878年(明治11年) – 井ノ口村、寺沢村、近岡村、大島村、田振村が合併し、追分村となる。
  • 1880年(明治13年) – 追分村(寺沢・近岡)、岩神村、野林村(籠林)で、足助学校本郷分教場の設置を愛知県に請願するが、校区の問題で保留される。
  • 1881年(明治14年) – 追分村(寺沢・近岡)、岩神村、野林村を校区とする大島学校本郷分教場が設置される。
  • 1887年(明治20年)4月 – 尋常小学追分学校に改称する。追分村及び野林村の一部(籠林)が校区となる。本郷分教場を廃止する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 – 追分村、野林村、岩神村、国閑村、上佐切村、上脇村、四ツ松村、東山中村、栃本村、上小田村、沢ノ堂村、上国谷村、下国谷村、桑原田村、中国谷村、下佐切村、平折村が合併し、盛岡村が発足する。
  • 1893年(明治26年)9月 – 追分尋常小学校に改称する。
  • 1907年(明治40年)1月 – 盛岡第二尋常小学校に改称する。盛岡村の校区の再編により、校区は大島、下国谷、井ノ口、田振、近岡、岩神、籠林となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 – 盛岡第二国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 – 盛岡村立追分小学校に改称する。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 – 足助町、盛岡村、賀茂村、阿摺村が合併し、足助町となる。同時に足助町立追分小学校に改称
  • 2005年(平成17年)4月1日 – 足助町が豊田市へ編入される。同時に豊田市立追分小学校に改称する。下国谷町の大部分と東大島町が則定小学校校区に移る。

交通アクセス[編集]

豊田市駅より【61系統】「足助」行。
名鉄東岡崎駅より【18系統】「足助」行。

参考文献[編集]

  • 足助町誌編集委員会『足助町誌』愛知県東加茂郡足助町、1975年 pp.398-408 450-456 495-507 843-862

関連項目[編集]

外部リンク[編集]