Month: February 2018

ダッロシュ=ニェルシュ・ボグラールカ – Wikipedia

この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、インド・ヨーロッパ語族風にボグラールカ・ダッロシュ=ニェルシュと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名) ダッロシュ=ニェルシュ・ボグラールカDallos-Nyers Boglárka 基本情報 出生名 ダッロシュ=ニェルシュ・ボグラールカ(Dallos-Nyers Boglárka) 別名 ボギ(Bogi)、ダッロシュ・ボギ(Dallos Bogi) 生誕 (1997-04-02) 1997年4月2日(25歳) ハンガリー ジェール 出身地  ハンガリー ジャンル ポップ、ギターポップ 職業 歌手

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紙風船 (映画) – Wikipedia

紙風船 監督 廣原暁眞田康平吉川諒秋野翔一 脚本 吉井顕之介後藤那穂子古田円香元澤英悟 原作 岸田國士 出演者 大後寿々花森岡龍桝木亜子今井隆文光石研富田靖子水橋研二石田法嗣佐津川愛美高橋真唯林剛史吉行由実清水大敬坪田秀雄仲村トオル緒川たまき 製作会社 東京芸術大学衛星劇場アミューズ 配給 衛星劇場 公開 2011年3月26日 上映時間 117分 製作国 日本 言語

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エアロトレイン (KLIA) – Wikipedia

この項目では、クアラルンプール国際空港内で運行中の交通機関について説明しています。その他の用法については「エアロトレイン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 エアロトレイン(英: Aerotrain)は、マレーシアのクアラルンプール国際空港内にある自動案内軌条式旅客輸送システムである。 エアロトレインシステムは、1998年に空港と同時に開業し、メイン・ターミナル・ビルとサテライト・ビルAを結んでいる。当システムと臨時運行バス(無料)が、2つのターミナル間の旅客のための輸送手段となっている。 2010年11月1日から2011年3月15日の間は、更新作業のため運休。 この期間中はシャトルバスが運転された[1]。 一般情報[編集] エアロトレインのターミナル エアロトレインは、完全に自動化され無人運転である。 通常、2つの列車が2つの駅の間を定期的に往復している。 Spanish solution(英語版)に従って、列車がプラットホームに到達したときに、降りる乗客のために出口ドアは最初に開き、その後反対側の入口ドアが開く。 列車のトラックの一部が、誘導路を横断するため地下を通っている。 メイン・ターミナル・ビルとサテライト・ターミナルAの間の乗車には約2.5分かかる。 エアロトレインは、同期ダブル・シャトル・モード、オフセット同期ダブル・シャトル・モード、非同期ダブル・シャトル・モード、シングル・シャトル・モード、オンコール・モード、テスト・トレイン・モード、そして最後にサービス・モードからなる、いろいろな運行モードをサポートしている。 エアロトレインには、中央制御システム、車両システム、駅自動列車運転 (ATO) システム、および配電システム (PDS)

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ウィルス・ポータシオ – Wikipedia

ウィルス・ポータシオ(Whilce Portacio、1963年7月8日 – )は、フィリピン系アメリカ人のアメリカン・コミック・ブック・アーティストである。 フィリピンのカヴィテ市サングレイ岬に生まれたポータシオは、2歳のときに一家でアメリカ合衆国に移住した。幼少期よりミッドウェー島やニューメキシコ州で育ち、後にカリフォルニア州サンディエゴに定住した。 1985年にマーヴル・コミックスにてインカーとして参加し、後にペンシラーの任をも与えられた。『パニッシャー』『X-ファクター』『アンキャニィ・X-メン』等のタイトルを手掛けたことで有名になったが、1992年、彼はマーヴルを離れ、注目を集めていた他の6人のアーティストとイメージ・コミックスを共同設立する。 しかし彼は姉妹の病気により、すぐにイメージから去ることとなった。自身のタイトルである『ウェットワークス』は、ジム・リーのワイルドストーム社(Wildstorm)から1994年に出版を果たした。他に彼の手による特筆すべき作品に『ストーン(Stone)』と、マーヴルの『ヒーローズ・リボーン(Heroes Reborn)』における論議を呼んだ筋書きの『アイアンマン(Iron Man)』が挙げられる。 2000年8月、ポータシオは膵臓機能不全による糖尿病性昏睡 に陥った。一週間後に目覚めた彼は体重が30ポンド落ち、歩くこと立つことはおろか、絵を描くことすら出来なかったが、わずか6ヵ月後には鉛筆を手に取り描けるようになった。彼のブログによると「描きたいものが心では見えていたが、それが手では描き上げられなかった。」とのこと[1]。 2006年、ポータシオはワイルドストームにおいてマイク・ケアリー(Mike Carey)脚本による『ウェットワークス Vol.2』でアート系職務に復帰した。あいにく度重なる遅延に悩まされた当作品で再び安定した作業予定計画の維持を取り戻せないという評価から結局第6号にて執筆から離れたものの、毎月の表紙絵はその後も描き続けた。[要出典]しかし新『ウェットワークス』シリーズはわずか全15号と短命に終わった。ポータシオはDCコミックスの新月刊シリーズ『バットマン・コンフィデンシャル(Batman Confidential)』のアートも手掛けている。 2008年6月9日、共同作家として復帰したスポーン原作者トッド・マクファーレン(Todd MacFarlane)の、新制作班のブライアン・オルギン(Brian Holguin)と共にポータシオは10月にスタートする『スポーン』第185号作画担当の新アーティストとして正式発表された。 ポータシオはマーヴル・コミックス時代のジム・リーのインカーとして彼の『パニッシャー』のペン入れからスタートし、緻密な細部の書き込みと独自の作画スタイルとをジム・リー、ロブ・ライフェルド(Rob Liefeld)、マーク・シルヴェストリ(Marc

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マーヴィン・バーンズ – Wikipedia

マーヴィン・ジェローム・バーンズ (Marvin Jerome Barnes, 1952年7月27日 – 2014年9月8日) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長203cm、体重95kg。ポジションはパワーフォワード。 ロードアイランド州プロヴィデンス出身のバーンズは地元のプロヴィデンス大学に進学し、3年次にチームをNCAAトーナメントベスト4に導いた。4年次には平均18.7リバウンドでNCAAディビジョンⅠリバウンド王に輝き、オールアメリカ1stチームに選出された。通算1,592リバウンドは今なお学校記録となっている。 1974年、バーンズはNBAドラフト全体2位でフィラデルフィア・76ersに指名されたが入団せず、ABAのスピリッツ・オブ・セントルイスと契約した。1年目から平均24.0得点(リーグ5位)15.6リバウンド(同3位)と素晴らしい成績を残して新人王を受賞し、オールスターとオールABA2ndチームにも名を連ねた。シーズン中には1試合54得点を記録している。翌1975-76シーズンも平均24.1得点10.8リバウンドで2年連続のオールスター出場を果たしたが、チームはプレーオフを逃した。 1976年にABAとNBAが合併し、それに伴ってスピリッツ・オブ・セントルイスが解散したため、バーンズはNBAのデトロイト・ピストンズに加入した。NBAではABA時代から成績が大きく低下し、4年間でピストンズ、バッファロー・ブレーブス、ボストン・セルティックス、サンディエゴ・クリッパーズを渡り歩いた。1980年にNBAを去った後はイタリアのプロリーグやCBAでプレーを続け、1986年に現役を引退した。 ABAとNBAを合算した成績は、315試合の出場で通算5,034得点2,837リバウンド(平均16.0得点9.1リバウンド)であった。 1997年、バーンズはABAオールタイムチームに選出された。2014年、生れ故郷のプロヴィデンスにて62歳で死去。 バーンズは若年期よりコート外において数々のトラブルや犯罪行為を引き起こし、それに由来した“Bad News”というニックネームで悪名高かった。以下に主なものを列挙する。 高校3年生のとき、ギャングの一員としてバス襲撃を企てたが未遂に終った。バーンズは自分の名前が刺繍された州選手権のジャケットを着ていたため、すぐに特定された。この事件は少年法制によって処理された。 プロヴィデンス大学在学中の1972年には、チームメイトを口論の末タイヤレバーで殴って負傷させた。その後彼は罪を認め、被害者に1万ドルを支払って執行猶予となった。 デトロイト・ピストンズ時代の1976年、デトロイト・メトロポリタン空港で弾が入っていない銃を発見された。前述の事件で執行猶予中だったため保護観察処分違反となり、ロードアイランド州の刑務所に152日間収監された後チームに復帰した。 上記以外にも強盗、麻薬所持、不法侵入で逮捕歴がある。 現役時代より薬物問題を抱えており、NBAキャリアが短くなる一因ともなった。一時期はサンディエゴでホームレスを経験したこともあったという。リハビリを経て社会復帰した後は、故郷であるプロヴィデンスの若者が自分と同じ道を歩まぬよう、啓発活動に取り組んでいた。しかし死の数年前から再び薬物に手を出していたことを、大学時代からの友人が証言している。

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優波摩那 – Wikipedia

優波摩那(うはまな、うぱばな、音写:優婆摩耶など他、Skt:Upamaana ウパマナあるいはウパヴァーナ、訳:譬喩)は、釈迦仏の弟子。また仏がシッダルタ太子の時の庶子ともいわれる(慧琳音義26、一切經音義第34巻「此云譬喩是佛庶子也」)。また第一妃瞿夷(くい、ゴーピー)との間の子とも伝えられる(處處経、西國佛祖代代相承傳法記及び内證佛法相承血脈譜など)。 一説には、釈迦が太子たりし時に妃が三人いて、それぞれ子を一子ずつもうけ、みな後に仏弟子となったといわれる。すなわち以下の通りになる。 第一妃瞿夷との間に優波摩那(ウパマナ)を生む 第二妃耶輸陀羅との間に羅睺羅(ラーフラ)を生む 第三妃鹿野との間に善星(スナカッタ)を生む これは、法華玄賛に「又経云。仏有三子。一善星。二優婆摩耶。三羅睺羅。故涅槃云。善星比丘菩薩在家之子」とあり、日寛の題目抄文段にも、「一、善星比丘等文。この下は解を簡んで信を嘆ずるなり。「善星比丘」は仏の菩薩の時の御子なり。仏に三子あり。第一は善星比丘。即ちこれ第三の夫人、釈長者の女鹿野が子なり。第二は優婆摩耶。即ちこれ第一の夫人、水光長者の女瞿夷の子なり。第三は羅睺羅。即ちこれ第二の夫人、移施長者の女耶輸の子なり。これはこれ善悪無記を表するなり。故に善星は羅雲(羅睺羅)の庶兄なり。善星を生ずる時、鹿野は猶妾の如し。故に涅槃の会に「羅雲の庶兄」というなり。これ則ち年、羅雲より長ずる故に兄というなり」と著されている。 また南伝の大般涅槃経には、Upavaanna (漢訳音写:優波摩那、優波摩、梵摩那など他、訳:白浄)という人が登場し、仏入滅の時、傍で侍し仏を扇で煽ぐも、十方の神霊(天)たちが仏に見(まみ)える為に来たが、彼が仏前に立ち遮っているので仏の命により退けられたという記述がある。なお、Upavaanna は、テーラガータ185-6偈では、舎衛城のバラモンとして、祇園精舎建立の時、信を起して出家し、六神通を得た。かつて仏に侍し、仏が病み給うと、その外護者のDevahitaバラモンの所へ行き薬湯を得て仏を癒したという記述などがある。同1018には、仏の侍者の一人として列挙されている。この他、Upavaanna の名は、雑阿含27.8及び44.4には優波摩、別訳雑阿含には優波摩那、増一阿含35.7には優頭槃と訳されるほか、諸経典文献にも同名の人が散見される。 なお、Upamaana を仏の嫡子とする説は北伝仏教に見られる説(思われるに、處處経の記述がその根本であろう)であり、南伝仏教では確認されていない。しかし國訳一切経の大般涅槃経(北伝・大乗)の迦葉菩薩品の註釈では、優波摩那を「これ仏の庶子なりという」とあり、織田得能が著した織田仏教大辞典(大蔵出版、1988年)でも仏の実子と伝えられることを挙げて「可考」とあり、考慮すべき点を指摘している。また赤沼智善編集の印度仏教固有名詞辞典では、Upavaanna 及び漢訳音写である優波摩那などの名称は見られるが、Upamaana の名前はなく、仏の嫡子であるかどうかの指摘もなされていない。 したがって、このUpavaanna と本項のUpamaana がまったく同一人物か、もしくは同名別人であるかは不明。

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富谷鉎太郎 – Wikipedia

富谷 鉎太郎(とみたに しょうたろう、安政3年10月5日(1856年11月2日) – 昭和11年(1936年)5月5日)は、日本の裁判官。大審院判事・部長、東京控訴院長、大審院院長、貴族院勅選議員を歴任。本職の傍ら帝国大学法科大学・和仏法律学校(現・法政大学)・明治法律学校で講師を務めた。明治大学学長。 1856年下野国に生まれる。父・豊義。 1884年7月 司法省法学校卒・法律学士。同省御用掛。 1886年2月 – 1890年(明治23年)2月 法学修業並裁判事務研究のため欧州に派遣される。 1890年7月 判事補・東京始審裁判所詰。 1890年10月 名古屋控訴院判事。 1891年1月 東京控訴院判事。 1894年4月 東京控訴院部長。

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オペラの怪人 (1925年の映画) – Wikipedia

『オペラの怪人』(The Phantom of the Opera)は、ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』を基にした1925年のアメリカ合衆国のサイレント・ホラー映画である。ルパート・ジュリアンが監督し、ロン・チェイニーが愛する女性をスターにするために殺人や暴力を犯すパリ国立オペラに出没するタイトル・ロールの醜い怪人役を演じた[3]。映画公開まで門外不出であったチェイニーが自ら考案したメイクで、チェイニーにとってもっとも有名なホラー映画である。 他にメアリー・フィルビン、ノーマン・ケリー、アーサー・エドマンド・ケアウィ、ギブソン・ゴウランド、ジョン・セント・ポリス、スニッツ・エドワーズが出演している。一番最近まで生存していた出演者はカーラ・レムリ(1909年-2014年)で、プロデューサーのカール・レムリの姪で15歳の時にプリマ・バレリーナの小さい役を演じた。 エリオット・クロウソン、トム・リード、レイモンド・シュロックにより映画化され、ルパート・ジュリアンが監督を務め、ロン・チェイニーとエドワード・セグウィックがその補佐を務めた。 なお邦題はのちの『オペラ座の怪人』ではなく『オペラの怪人』として公開された。 あらすじ[編集] 1925年公開時を基にしており、のちの再版には未公開シーンが含まれる パリ国立オペラにてシャルル・グノーの『ファウスト』公演から新たなシーズンが開幕する。フィリップ・シャニュイ伯爵(ジョン・セント・ポリス)と弟のラウル・シャニュイ子爵(ノーマン・ケリー)が観劇している。ラウルは恋人クリスティーヌ・ダーエ(メアリー・フィルビン)が歌うのを聴くためだけに来ている。クリスティーヌはコーラスの1人で、プリマドンナのカルロッタの代役であったのが突然昇格したのである。上演中にラウルは楽屋を訪れ、引退して結婚してくれるよう伝える。クリスティーヌはキャリアを積みたいためこれを拒否する。 オペラ座史上最高の評判となり、経営陣が突然退任する。彼らは新たなマネージャーたちに5番ボックス席を占有する怪人「オペラ・ゴースト」などについて語る。新たなマネージャーたちは冗談と思い一笑に付し、旧マネージャーたちは心配する。 終演後、バレエ団の少女たちは地下にいるフェズを被ったミステリアスな男(アーサー・エドマンド・ケアウィ)の姿を見かけて動揺する。彼が怪人なのかどうか騒ぎになり、怪人の顔を見たことがある舞台係のジョセフ・ブケーに尋ねることにする。ブケーは生きた骸骨としてその恐ろしい見た目を少女たちに説明し、少女たちは壁にうつった影に驚く。陽気な舞台係のフロリーヌ・パピヨン(スニッツ・エドワーズ)はジョセフの兄弟シモン(ギブソン・ゴウランド)を楽しませることができず追い立てられる。一方オペラ座のプリマドンナのカルロッタ(ヴァージニア・ピアソン)は激怒しながらマネージャーの部屋に飛び込む。カルロッタは怪人から、次の公演からクリスティーヌがマルグリット役を演じること、逆らえば悲惨な結果になると脅す手紙を受け取ったのである。この時楽屋にいたクリスティーヌは壁に映る怪人の影と会話する。その声はカルロッタが演じていた役を水曜から演じるように、そして自分のキャリアと指導者のことだけを考えるようにと語る。 翌日、オペラ座近くの庭園でラウルはクリスティーヌと会い、プロポーズの答えを考え直すよう頼む。クリスティーヌは「音楽の精」の神聖な声に指導を受けているとし、今ここでキャリアを捨てる訳にはいかないと語る。ラウルはクリスティーヌが誰かに騙されているのだと語り、クリスティーヌは怒って出て行く。 水曜午後、カルロッタは病気になり、クリスティーヌが代役を務める。上演中、マネージャーが5番ボックス席に誰がいるのか見に行く。ボックス席案内人もその席にいる人の顔を見たことがなく誰なのか知らない。マネージャー2人がボックス席に入り、人影を見て驚く。マネージャーたちはボックス席から逃げ、一息ついてもう1度ボックス席に戻ると人影はなくなっている。次の公演でクリスティーヌは大喝采を浴び、観客はスタンディングオベーションをする。ラウルが楽屋を訪れるが、クリスティーヌは怪人に気付かれたくないため知らないふりをする。ラウルが楽屋に入ろうとすると中から声がしたためドアの外で一夜を明かす。ラウルはクリスティーヌを誘惑する声を中から聞き、「早く、クリスティーヌ、この精霊は姿を現し君の愛を要求するつもりだ」と叫ぶ。クリスティーヌは1人で部屋を出てきたため、ラウルは室内を捜索するが誰もいない。シモン・ブケーが兄弟のジョセフが首をつられて死亡しているのを発見し、復讐を誓う。カルロッタは再度怪人から不気味な手紙を受け取る。病気休演し、クリスティーヌに主役を譲るよう書いてあるのだ。マネージャーたちも手紙を受け取っており、クリスティーヌが歌わないのならこの公演に呪いをかけると書いてある。 怪人であるエリック役のロン・チェイニーとクリスティーヌ・ダーエ役のメアリー・フィルビン 次の日の夜、怪人の警告にも関わらず開き直ったカルロッタがマルグリット役で登場する。最初はうまくいっていたが、怪人の呪いにより巨大なシャンデリアが観客席に落下する。クリスティーヌは楽屋に駆け込むと、秘密の扉となっている鏡の奥から聞こえるミステリアスな声に導かれ、意識を失いかけながら馬の背に乗せられ強風が吹く階段を下りオペラ座の地下深くに連れていかれる。仮面をした怪人にゴンドラに乗せられ地下の湖を渡り、怪人の隠れ家にたどり着く。怪人は自らをエリックと名乗り、愛を告白する。クリスティーヌは気を失い、エリックはクリスティーヌを抱きかかえてベッドに横たえる。翌日、クリスティーヌが目を覚ますと、仮面を外した顔を見ない限りは出入り自由との書置きを見付ける。隣の部屋で怪人は『ドンファンの勝利』の作曲をしている。クリスティーヌは好奇心により怪人の背後に忍び寄り仮面を外すと恐ろしいほど醜い顔が現れる。怪人は激怒して考えを変え、クリスティーヌは自分の手中にあることを思い知らせる。クリスティーヌは怪人に嘆願し、ラウルと最後に1度だけ会えることになる。 地下から解放されたクリスティーヌが恒例の仮面舞踏会に参加すると、エドガー・アラン・ポーの短編から赤死病の仮面の変装をした怪人が登場する。ラウルはクリスティーヌを見つけ、共にオペラ座の屋根に逃げ、クリスティーヌはシャンデリア落下以降に起きたことを全て話す。アポローンの像の上に隠れていた怪人は2人の会話を聞き嫉妬する。ラウルは次の公演の後にロンドンに逃げるよう急遽計画する。2人が屋根から下りると、フェズを被ったミステリアスな男が2人に近付く。男は怪人が階下にいることを知らせ、他の出口に促す。 翌日の夜、ラウルは楽屋でクリスティーヌと会う。クリスティーヌは怪人が全て知っていると語る声を聞く。ラウルは馬車を用意し、クリスティーヌを安心させる。 公演中、暗転している時に怪人はクリスティーヌを誘拐する。ラウルがクリスティーヌの楽屋に急いで向かうと、フェズ帽の男がおり、自分はデビルズ島に収監されていた怪人が脱獄してから調査をしていた秘密警察のルドゥであると明かす。ルドゥは楽屋の秘密の扉を教え、2人はクリスティーヌ救出のためオペラ座の地下に入っていく。しかし2人は怪人が設計した拷問部屋である地下牢に落ちる。フィリップも弟を探すための地下に向かう入り口を見つけるが、カヌーで湖を渡っていると怪人の警報機が鳴る。フィリップは怪人により転覆させられ、怪人が部屋に戻るとラウルとルドゥが拷問部屋にいるのを見つける。怪人がスイッチを入れると、拷問部屋の室温はどんどん上昇する。

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