Month: September 2019

真珠層 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “真珠層” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年9月) 真珠層(しんじゅそう、英: Nacre)、別名真珠母(しんじゅぼ、英: mother of pearl)は、ある種の軟体動物(特に貝類)が外套膜から分泌する炭酸カルシウム主成分の光沢物質。 貝殻の内側に付いており、無機質と有機質の複合物質である。真珠の外側のコーティングを作り上げる物質で、強く、弾力性があり、干渉縞により構造色(虹色)となっている場合が多い。 真珠層は全ての軟体動物にあるわけではなく、二枚貝綱、腹足綱、頭足綱などのうち特定の古い系統に限られる。その他の大多数の軟体動物の内殻層は磁器質になっており、真珠層は持たない。ただし、真珠層を持たない種類の貝にも、殻の内側に虹色の層を持つものがある。 アコヤガイ[1]やカワシンジュガイ (freshwater pear) の貝殻の内層は、真珠層である。そのほか、海洋腹足類のミミガイ科(アワビ[1]など)、ニシキウズガイ科 (Trochidae) 、リュウテンサザエ科 (Turbinidae) も真珠層を持つ。 真珠層は炭酸カルシウムなどの微結晶(茶色部)が有機物(黒線)で接着されたものである 真珠層の主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)

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柳宗元 – Wikipedia

柳 宗元(りゅう そうげん、拼音: Liú Zōngyuán、大暦8年(773年) – 元和14年11月8日(819年11月28日))は、中国唐代中期の文学者・政治家。字は子厚(しこう)。本貫の河東郡解県から、「柳河東」「河東先生」と呼ばれる。また柳州刺史であったことから「柳柳州」と呼ばれることもある。玄祖父は柳楷(柳旦の子)。 王維や孟浩然らとともに自然詩人として名を馳せた。散文の分野では、韓愈とともに宋代に連なる古文復興運動を実践し、唐宋八大家の一人に数えられる。柳鎮の子として生まれた。同時代の著名な文人の白居易・劉禹錫に1年遅れて長安で出生。生まれも育ちも長安であるが、12歳から16歳まで地方官の父の柳鎮に従って江南・江西から長沙の間を歴遊した。徳宗の貞元9年(793年)に進士に挙げられ、貞元14年(798年)には難関の官吏登用試験(科挙)の博学宏詞科に合格、集賢殿正字(政府の書籍編纂部員)を拝命した。新進気鋭の官僚として藍田県尉(警察官僚)から監察御史(行政監督官)を歴任した。 徳宗治世の8世紀末の唐は、宦官勢力を中心とする保守派に対決姿勢を強める若手官僚グループの台頭が急であった。王叔文を頭目に戴くこの改革派へ、政界の刷新を標榜する柳宗元は盟友劉禹錫とともに参加するが、既得権益の剥奪を恐れる保守派の猛反発に遭い、加えて徳宗の歿後の永貞元年(805年)担ぎ上げた頼みの順宗も病弱で、その退位と同時に改革政策はわずか7カ月であえなく頓挫。礼部侍郎に就任し、これからという時に柳宗元の政治生命は尽きた(永貞改新)。 政争に敗れた改革派一党は政治犯の汚名を着せられ、柳宗元は死罪こそ免れたものの、長安を遠く離れた邵州へ、刺史(州の長官)として左遷された。ところが保守派が掌握した宮廷では処分の見直しが行われて改革派一党に更なる厳罰が科されることになり、柳宗元の邵州到着前に刺史を免ぜられて更に格下の永州のへ、員外司馬(州の属僚。唐代では貶謫の官で政務には従事しない)として再度左遷された(八司馬事件)。時に柳宗元33歳。 以後、永州に居を構えること10年、元和10年(815年)にはいったん長安に召還されるものの、再び柳州刺史の辞令を受け、ついに中央復帰の夢はかなわぬまま、元和14年(819年)、47歳で歿した。宗元は短命であったことに加え、長く流謫(るたく)されていただめ、官職の異動も少なかった。政治家としてはたしかに不遇であったが、そのほとんどが左遷以後にものされることとなった彼の作品を見ると、政治上の挫折がかえって文学者としての大成を促したのではないかとは、韓愈の「柳子厚墓誌銘」などにあるように、しばしば指摘されるところである。 詩は陶淵明の遺風を承け、簡潔な表現の中に枯れた味わいを醸し出す自然詩を得意とした。唐代の同じ傾向持つ詩人、王維・孟浩然・韋応物らとともに「王孟韋柳」と並称された。ただ、その文学には政治上の不満ないし悲哀が色濃くにじみ、都を遠く離れた僻地の自然美をうたいながらも、どこか山水への感動に徹しきれない独自の傾向を持つ。 柳宗元は文学者・政治家であるのと同時に思想家・法家・無神論者・唯物論者・合理主義者とも呼ばれる。無神論者にして仏教の篤い庇護者でもあり、儒教・諸子百家・仏教に普遍する第四の道を求めたという特質がある。 彼の政治スローガンとして「生人〈人民〉を貴しと為し、社稷(しゃしょく)〈国家〉は之に次ぐ」という孟子の名言がある。この、国家よりも人民を優先すべきという彼の思想は無神論や王権神授説の否定にも繋がる。 天明思想を嫌った宗元は「聖人の意は神・天に在らず、人に在り」というように天上の問題と地上の問題を断絶することに真意を置いた。 彼は「天意天明を認める限り、政治の責任は任命者たる天に帰す。しかし、天は上空の黒い物体にして民意を解する存在でも、意志を有する存在でもない以上、政治の責任は宙に浮いたままである。実際には皇帝の専制や宦官の横暴を容すことになる」と考え、苦しむのは民であるため、政治の責任を天の意に置くべきではないとした。 著名な作品[編集] 江雪 原文 訓読

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ある日、お姫様になってしまった件について – Wikipedia

ある日、お姫様になってしまった件について ジャンル 異世界ファンタジー漫画[1] 漫画 原作・原案など Plutus 作画 Spoon 出版社 위치북(小説)캐롯툰(漫画)KADOKAWA(日本版) 掲載サイト ComicWalker(日本版) レーベル FLOScomic(日本版) 発表期間 2019年7月5日 – (日本版) 巻数 既刊6巻(日本版)(2022年3月4日現在)

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中嶋竜司 – Wikipedia

この記事は語句の内部リンク、見出しのマークアップなどスタイルマニュアルに沿った修正が必要です。ウィキペディアの体裁への修正にご協力ください(ヘルプ)。(2021年3月) なかしま りゅうじ中嶋 竜司 生年月日 (1964-09-22) 1964年9月22日(57歳) 出身地 日本・熊本県 職業 ヘアメイクアーティスト 活動期間 1986年- 事務所 TWIN PLANET テンプレートを表示 中嶋 竜司(なかしま りゅうじ、1968年9月22日

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羽野晶紀 – Wikipedia

羽野 晶紀(はの あき、1968年8月22日 – )は、日本の女優、タレント。本名、山脇 晶(やまわき あき)旧姓、羽野。京都府宇治市出身。京都府立西宇治高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科中退。血液型B型。2002年1月に狂言師和泉元彌と結婚。2児(一女・一男)をもうける。 所属事務所は、リコモーション(現在キューブと提携)→結婚による休業を経て、2007年11月から東宝芸能所属。 人物・経歴 女優時代 父親は八百屋を経営している。 笑福亭鶴瓶が司会を務めた関西ローカル番組『9年9組つるべ学級』に出演し芸能界デビュー。その後大学に進学。 大学在学中に朝日放送の関西ローカルテレビ番組”ナイトinナイト『おっちゃんVSギャル』”に女子大生レギュラー回答者として出演。特異なキャラクターで、司会の桂三枝(現・六代目桂文枝)の格好のイジラレキャラクター『八百屋の娘』として笑いと注目を集める。 大学在学中に、当時は学生劇団であった劇団☆新感線に所属。劇団には、後に「ひらけ!ポンキッキ」9代目「橘いずみおねえさん役」に抜擢されることになる周栄良美も在籍しており、その独特のオーラに羽野は圧倒されたという。すぐに意気投合し、在学中は大親友だったという[1]。渡辺いっけい、筧利夫、古田新太、高田聖子らが同時期に在籍していた。後に高田は「この頃は(帰りの)近鉄電車に乗りながら、さっさと辞めて早くお嫁に行こうねって話し合っていた」と説明している。 関西の小劇場演劇ブームに乗り、関西を中心にテレビ番組に出演。1989年から1年間にわたって放送された読売テレビの深夜のコント番組「現代用語の基礎体力」で、毎週、生瀬勝久(当時は槍魔栗三助)扮する怪人にさらわれるお嬢様役がウケて、ブレイクした。その後もCDデビュー果たし、ほぼランジェリーの衣装を身につけてライブも精力的に行っていた。古田新太曰く「浪花のキョンキョン」。関西地方ではアイドル的な存在であった。芝居とは別に「北野誠の妹分」という役割でタレントとしてのテレビ出演も増え、認知度をさらに上げていった。 『現代用語の基礎体力』出演以後も1990年の『ムイミダス』、1991年の『未確認飛行ぶっとい』などの讀賣テレビ放送の深夜番組に生瀬、古田や升毅、立原啓裕らと出演した。1990年代の『笑っていいとも!』出演を機に全国進出。その後 TVドラマ、舞台、映画などで幅広く活躍。 平成モスラシリーズにベルベラ役でレギュラー出演しているが、作品世界がかなり気に入っており、『モスラ3 キングギドラ来襲』においては劇団☆新感線のデザイナーを招いてベルベラの新コスチュームを作り、自ら作品作りに参加した。 結婚・休業・復帰

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ドデカネス諸島 – Wikipedia

ドデカネス諸島(ドデカネスしょとう、ギリシア語: Δωδεκάνησα / Dodekánisa ; 英語: Dodecanese)は、エーゲ海南東部に点在するギリシア領の島々。 ドデカネスはギリシア語で「12の島」を意味するが、実際には主要12島のほか約150の小島が含まれ、そのうち26が有人島である。面積・人口とも最大の島はロドス島で、最大の都市はロドス。聖ヨハネ騎士団ゆかりのロドス島、ヒポクラテスの出生地であるコス島、使徒ヨハネが『ヨハネの黙示録』を記したとされるパトモス島など、長い歴史に彩られた多くの史跡がある。 「ドデカニサ」(Δωδεκάνησα / Dodekánisa)は、ギリシャ語の「12」(δώδεκα / dṓdeka)と、「島々」(νησος / nēsos)を組み合わせた地名で、「12の島」を意味する。「ドデカニソス」(Δωδεκάνησος / Dodekánisos)とも表記される。また、それらを古典ギリシア語式に転記した「ドデカネサ」「ドデカネソス」なども用いられる。 ギリシャ語以外の各言語では以下のように表記される。 日本語表記では、ドイツ語の影響を受けた「ドデカネス」が広く使われる。このほか、英語やフランス語の表記・発音に影響された「ドデカネーゼ」「ドデカニーズ」「ドデカネーズ」などが用いられることもある。 位置・広がり・地勢[編集] ドデカネス諸島の衛星画像

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シンデレラ (2021年の映画) – Wikipedia

シンデレラ Cinderella 監督 ケイ・キャノン(英語版) 脚本 ケイ・キャノン 原作 シャルル・ペロー『シンデレラ』 製作 ジェームズ・コーデンレオ・パールマンジョナサン・カディンシャノン・マッキントッシュ(英語版) 出演者 カミラ・カベロイディナ・メンゼルニコラス・ガリツィン(英語版)ミニー・ドライバーピアース・ブロスナンビリー・ポーター(英語版) 撮影 アンドリュー・ダン(英語版) 編集 ステイシー・シュレイダー(英語版) 製作会社 ソニー・ピクチャーズフルウェル・73(英語版) 配給 アマゾン・スタジオ

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日隈ジュリアス – Wikipedia

日隈 ジュリアス(ひぐま ジュリアス、1997年5月25日 – )は、沖縄県中頭郡北谷町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPB時代の登録名は「ジュリアス」。 実弟も野球選手の日隈モンテル[1]。 プロ入り前[編集] 小学校から「浜川ジャイアンツ」で野球を始める[2]。桑江中学校では與那原大剛と同級生だった[3]。高知中央高等学校では県大会優勝、四国大会ベスト4が最高で、甲子園出場はなかった。 2015年ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから4位指名を受け、11月27日に契約金3200万円、年俸500万円で合意した[4]。背番号は48。 プロ入り後[編集] 2016年は、5月15日にイースタン・リーグの対千葉ロッテマリーンズ(ヤクルト戸田球場)で二軍公式戦初登板を果たすが、故障のためこの1試合のみの出場に終わる。8月31日に左肘関節のクリーニング手術を受け、以降はリハビリに励んだ[5]。 2017年も左肘の故障に苦しみ、5月10日に左肘靱帯のトミー・ジョン手術を受けた[6]。全治1年との診断で、二軍公式戦の出場はなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[7]。11月24日に育成選手として再契約。背番号は119[8]。 2018年中に復帰し、二軍公式戦12試合に登板して防御率5.11の成績を残す。10月31日、自由契約公示[9]されたのち、育成選手として再度契約。 2019年はチームメイトの近藤一樹にトレーニングの助言を仰ぐなどして体力面で成長を見せ、故障に悩まされず1年を通じて二軍戦でコンスタントに登板。23試合に登板して2勝1敗、防御率5.49の成績[10]。シーズン終了後はみやざきフェニックス・リーグや[11]台湾のアジア・ウィンター・リーグに派遣され[12]、ウィンターリーグ戦では防御率0.80で2勝をあげる活躍を見せた[13]。なお、ウィンターリーグ前の10月31日に自由契約公示[14]されたのち、育成選手として再度契約している[10]。 2020年は育成契約後では最少の二軍公式戦10試合の登板に終わり、防御率は4.38。11月2日、戦力外通告を受けた[15]。12月7日、明治神宮野球場で行われた12球団合同トライアウトに参加するも、3人の打者に対して与四球2、被安打1の結果に終わる。この被安打は、14年ぶりの現役復帰を目指す48歳の新庄剛志からの適時打であった[16]。 2021年2月17日、弟のモンテルが所属する独立球団・琉球ブルーオーシャンズの春季キャンプに招待選手として参加することが発表された[17]。3月10日、同球団への入団が発表された[2][18]。8月16日、同14日付で任意引退すると発表された[19]。なお、弟のモンテルも、9月14日に同球団を自主退団している[20]。なお、ジュリアスの退団発表直後に、琉球球団では複数の新型コロナウイルス感染者が確認され、活動が休止する事態に陥ったが、ジュリアスに一切の関係がないことが琉球の球団社長・北川智哉によって明かされている[21]。 アメリカ人の海兵隊員である父と日本人の母を持つハーフ[22]。父はイラク戦争の影響でジュリアスが4歳の頃から会えておらず消息不明となっていたが、2015年ドラフト会議直前に生存が確認された[23]。 ヤクルト同期入団の廣岡大志とは仲が良い[24]。 詳細情報[編集] 年度別投手成績[編集]

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ラディアホールディングス・プレミア – Wikipedia

ラディアホールディングス・プレミア株式会社(英称:Radia Holdings Premier, Inc.)は、かつて存在していたラディアホールディングス(旧 グッドウィル・グループ、現 テクノプロ・ホールディングス)の中間持株会社。2007年5月1日から2008年9月30日まで社名は、株式会社グッドウィル・プレミアだった。その前身は人材派遣、業務請負大手、株式会社クリスタル(グループ)。 傘下には多数のグループ会社がある純粋持株会社。2006年10月31日、グッドウィル・グループに約880億円で買収された。詳細は買収の項目に記載するが、ラディアホールディングスの当該項目も参照のこと。 かつてはクリスタルショップやクリスタル観光バス、クリスタルタクシー(タクシー事業)などの会社も保有していた。いずれの会社も2007年4月に売却され、グループから離脱している。 2010年4月30日株主総会の決議により解散。5月21日に東京地裁から特別清算の開始決定を受け、同年11月23日付で特別清算終結決定となり、完全消滅した。 会社情報[編集] 2007年5月現在。 グッドウィルの買収前は、グループ全体で見れば、スタッフサービスやテンプスタッフ、パソナなどの同業大手を凌駕する売り上げがあったにもかかわらず、従業員数の割りに各社の資本金が異常に少ないのが特徴である。株式会社の最低資本金規定だった1,000万円程度だったケースが多く、現在でも数万人をかかえているところでも数千万円になっている会社がほとんどである。 業界団体である日本人材派遣協会や日本生産技能労務協会には加盟しておらず、会計が不明瞭ゆえか、企業ランキングや業界地図などからは除外されており、会社四季報未上場会社版にも掲載されていなかった(グループ内数社が個別に掲載されていたにとどまる)。会計は現在は上場企業であるグッドウィル・グループの連結対象であり、比較的明瞭になっている。 朝日新聞は2008年春の株式上場を目指していると報じていた[1]が、グッドウィル・グループへの取り込みに近い形のグループ再編が進んだ上、系列となったコムスンおよびグッドウィルの行政処分の影響もあり実現可能性はなくなった。 事業所[編集] その他工場・倉庫等を保有 創業[編集] 1974年(昭和49年)5月、林純一が綜合サービスを設立して業務請負業として人材派遣を始める。 グッドウィルによる買収直前まで株式の9割弱を保有する典型的企業オーナーで、業界団体に加盟せず、京都経済界の会合にも出席せず、同業関係者とも顔を会わさないなどと週刊東洋経済2003年2月号などで喧伝されている。 分社化路線[編集]

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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) – Wikipedia

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(原題: Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance))は、2014年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督は『バベル』(2006年)のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、主演はマイケル・キートン。 第87回アカデミー賞作品賞をはじめとする数々の映画賞を受賞している。 ストーリー[編集] リーガンは落ち目のハリウッド俳優である。かつては『バードマン』という3本のブロックバスター映画でスーパーヒーローのバードマンを演じスターの座を掴んだが、以降はヒット作に恵まれぬまま20年以上が経過して60代となり、世間からは「かつてバードマンを演じた俳優」の烙印を押される始末だった。私生活でもトラブルは絶えず、仲違いのために妻のシルヴィアとは離婚し、娘のサムは素行不良の挙句薬物に手を染めている。リーガン自身も零落した自分を嘲る心の声(=バードマン)に悩まされていた。彼が1人になるとバードマンが現れ、ハリウッドへ戻れと囁くのだ。 リーガンはアーティストとしての自分に存在意義を見いだそうと、ブロードウェイ進出という無謀な決断をする。俳優を志す切っ掛けとなったレイモンド・カーヴァーの短編小説『愛について語るときに我々の語ること』を自ら舞台向けに脚色し、演出及び主演を務めることにしたのだ。プロダクションは親友の弁護士ジェイクが担当し、共演者にはリーガンの恋人であるローラと、初めてブロードウェイの劇に出演するレスリーが選ばれた。また、薬物依存症から回復したばかりのサムをアシスタントとして加えると準備は着々と進み、本公演前のプレビュー公演を迎えることになる。 プレビュー初演の前日、リハーサル中に負傷した俳優の代役として、ブロードウェイで活躍するマイクが選ばれる。俳優として類稀な才能を見せながらも身勝手極まりないマイクの言動はスタッフを振り回し、3度のプレビュー公演の内、2つは台無しになってしまう。『ニューヨークタイムズ』のインタビュー記事は虚言ばかりのマイクの記事が一面を飾り、リーガンの記事は後方へと追いやられていた。カムバックを目論むリーガンにとって、マイクはまさに目の上のたんこぶだった。 最後のプレビュー公演中、出番の合間に喫煙のため外へ出たリーガンだが、運悪くドアが閉ざされて衣装姿のまま外へ閉め出されてしまう。リーガンはドアに挟まってしまったローブを脱ぎ捨て、ブリーフ姿でニューヨークの大通りを歩いて劇場の入口から中に入り、何とかラストシーンを演じ切る。リーガンがブリーフ姿で歩く様は一般人によって撮影され、その映像はYouTubeで100万回以上も再生された。リーガンにとっては不本意だったが、彼の姿は話題を呼んだ。 本公演の前夜、リーガンは舞台近くのバーで批評家のタビサと会い、「芝居を酷評する」と宣言される。彼女の発言力は大きく、舞台公演が今後ロングランとなるか、それとも打ち切りとなるかを左右するほどだった。リーガンは呆然とした様子で街を歩き、道端で夜を明かすとバードマンの声で目を覚ます。リーガンの背後に現れたバードマンは、彼を再び大作映画の世界へ向かわせるべく虚構の世界へと誘う。リーガンが指を鳴らすと街は戦闘部隊と怪物の戦いによって火の海となり、屋上から飛び立てばバードマンの如くニューヨークの空を飛び回ることができた。 始まった本公演の初日、リーガン扮するエディの拳銃自殺で幕切れとなるラストシーンを迎えると、リーガンのおかしな様子に演者は顔を見合わせる。リーガンは観客の前へ立つと拳銃を頭へ突きつけ、発砲と同時に倒れた。舞台に飛び散った血に観客は一瞬ざわめくも、やがてスタンディングオベーションを送る。その渦中、前列にいたタビサは興奮する観客を無視して劇場から立ち去っていく。 リーガンが目を覚ましたのは病院のベッドだった。彼の放った弾丸は頭ではなく鼻を捉え、辛くも一命を取り留めたのだ。ジェイクが持ちこんだ新聞の一面には、観客に銃口を向けたリーガンの写真がプリントされている。タビサによる記事では、リーガンの自殺未遂は小道具と本物の拳銃とを取り違えて使用したためであり、それによって生まれた今回の事件を「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と銘打っていた。事件は世間の注目を集め、多くの人がリーガンの復活を心待ちにしていた。 1人になったリーガンは鏡の前に立ち、顔を覆うガーゼを外す。吹き飛んだ鼻は整形され、さながらバードマンのような鋭い鼻に変貌していた。リーガンは傍らに見えるバードマンに別れを告げると、病室の大きな窓から体を乗り出して窓枠に立ち上がる。直後に病室へ戻ってきたサムは、忽然と消えたリーガンを探して開け放たれた窓から下を見るが、目に入ってきた光景に戸惑いを見せる。続いて顔を上げ空へ目を向けたサムは目を見開き、笑みを浮かべた。 キャスト[編集]

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