Month: August 2020

令和七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律 – Wikipedia

この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 令和七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律(れいわななねんにかいさいされるこくさいはくらんかいのじゅんびおよびうんえいのためにひつようなとくべつそちにかんするほうりつ、平成31年4月26日法律第18号)は、2025年日本国際博覧会に向けて、推進本部の設置等・基本方針の策定・国有財産の無償使用・組織委員会への国の職員の派遣などについて定める日本の法律。制定時点の題名は、平成三十七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律であったが、デジタル庁設置法(令和3年5月19日法律第36号)附則第47条による改正で、2021年9月1日から法律名が改題された。 2018年(平成30年)11月23日の第164回BIE総会で、2025年の国際博覧会の開催地が大阪に決定されると、政府は国際博覧会に向けた準備を本格化させた。同年12月21日には、国務大臣に「国際博覧会担当」が追加され、経済産業大臣が担当することとなった。しかし、専任の担当大臣の設置や財源確保・国有財産の無償使用などの特別の措置をとるためには新法の制定が必要であったため、この法律が制定された。 法律の内容[編集] (1)博覧会協会の指定等 経済産業大臣は、博覧会の準備及び運営に係る業務を適正かつ確実に行うことができると認められるものを、「博覧会協会」として指定し、博覧会業務に関し必要な報告をさせるとともに、監督上必要な命令をすることができるものとする。 (2) 博覧会の円滑な準備及び運営のための支援措置等 ①国は、博覧会協会に対し、博覧会の準備又は運営に要する経費について、一部を補助することができるものとする。②寄附金付郵便葉書等を博覧会の準備及び運営に必要な資金に充てることを寄附目的として発行することができるものとする。③博覧会協会への国の職員の派遣に関し必要な規定を整備する。 (3)国際博覧会推進本部の設置 内閣に「国際博覧会推進本部」を設置し、本部が設置されている間、専任の担当大臣を置くことができるようにする(国務大臣の定数を一人増加させる。)。 2019年(平成31年)2月8日に、第198回国会に提出され、同年3月26日に衆議院で、同年4月19日に参議院でそれぞれ可決され、成立した。 2019年(平成31年)4月26日に公布され、「公布の日から一月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」(ただし、第2章及び第3章並びに附則第3項の規定は、「公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」)(附則第1項)こととなった。 2019年(令和元年)5月23日から第2章及び第3章並びに附則第3項の規定を除く部分が施行された。 2020年(令和2年)9月16日から第2章及び第3章並びに附則第3項の規定が施行された。 2021年(令和3年)9月1日から現行題名に改名された。 第1章 総則(第1条) 第2章 国際博覧会推進本部(第2条―第12条) 第3章 基本方針(第13条) 第4章 博覧会協会(第14条―第21条)

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南こうせつ – Wikipedia

南 こうせつ(みなみ こうせつ、本名:南 高節、1949年2月13日 – )は、日本のフォークシンガー・元かぐや姫のリーダー。ベリーファーム所属。 大分県大分市竹中(旧:大分郡竹中村)出身。かぐや姫時代に「神田川」が大ヒットし、続けて「赤ちょうちん」「妹」がヒット。解散後も「夢一夜」「夏の少女」などのヒット曲を生んでいる。現在、大分県杵築市在住。妻はエッセイストの南いくよ(南育代)。 人物・概要[編集] 大分市(旧:大分郡竹中村)の曹洞宗勝光寺の生まれ。3人兄弟の三男。大分県立大分舞鶴高等学校卒業、明治学院大学社会学部中退。寺は次兄・光洋が継ぐ予定だったが早世し、現在は、東京でサラリーマンをしていた長兄・慧昭(えしょう)が定年退職後に跡を継ぎ、住職を務めている。その長兄は2006年に民教協のドキュメンタリー番組「生きる×2」(大分放送制作)で取り上げられた。なお、竹中と言う地名はかぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも出てくる(南が作詞を担当)。 1970年4月『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューする。同じ年10月「南高節とかぐや姫」としてベース奏者、大島三平らと『酔いどれかぐや姫』をリリースする。認知度を上げるため、所属事務所の指示で全日本歌謡選手権に出場、4週勝ち抜いた翌週、審査員をしていた竹中労に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選した。その後山田パンダ、伊勢正三と新生かぐや姫を結成、かぐや姫解散後にソロ活動を開始した。 1976年3月、日本武道館で、日本人ソロ・シンガーソングライターとしては初めてのワンマン公演を開催する。同年5月には追加公演も行われた。 1980年代はオールナイトの野外コンサート『サマー・ピクニック』を毎年九州で中心となって開催し、多数の観客を集めた。 1983年6月には、フジテレビ系列「ミュージックフェア」にて、ジョン・デンバーとデュエットで「故郷へかえりたい」を歌った。その後2人は親交を深め、翌年琵琶湖で行われた「世界湖沼会議」の前夜祭にてジョンとともにライブを行った。また1990年には、ジョンとのデュエット作品『岩を砕く花のように』を発売している。 2009年9月には、こうせつの還暦記念として、つま恋でサマー・ピクニック・コンサートが行われ、約2万人の観客を集めた。 1993年12月1日に福岡ドーム、12月2日に東京ドームで行なわれたサイモン&ガーファンクルの来日コンサート「Event of a lifetime

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