Month: March 2022

鈴木由路 – Wikipedia

鈴木 由路(すずき ゆうじ、1981年10月17日 – )は、日本のハンググライダー競技選手。2019年の世界選手権では、日本人では1位であり歴代2番目となる12位入賞を果たした[1]。また、2020年の4月、ハンググライダー選手の世界ランキングであるCIVL World Ranking Systemにて、日本人では歴代1番目となる12位にランクインした[2]。世界の競技選手と比較すると体格が小さく不利である[3]が、目の良さを活かした周囲の状況判断、徹底した自己分析による安定感重視のスタイルを得意としている[4]。そのほか、VRを用いた体験イベントを開催したり、YouTubeに「空でコレやってみたシリーズ」の動画を投稿したりするなど、「空の伝道師」としてスカイスポーツの普及活動も行っている。 東京都昭島市出身[1]。東京農工大学工学部機械システム工学科卒業[5]。血液型はA型[6]。趣味はダンス、裏道探し。特技は木登り。好きなものはMr.Children、Queen、天空の城ラピュタ、踊る大捜査線など[1]。好きな食べ物はするめ、おろしポン酢、カレー。好きな言葉は「好きこそものの上手なれ」[7]。目標は「ハンググライダーをメジャースポーツにすること」と、「世界選手権でメダルを獲得すること」[6]。 ハンググライダーを始めたきっかけ[編集] 小学校時代、水泳を習っており、ソフトボールクラブにも入っていた。空を飛ぶ夢をよく見ていたことや、「天空の城ラピュタ」「風の谷のナウシカ」からインスピレーションを得たことなどがきっかけで、将来空を飛ぶことを決めた[5]。中学校・高校時代、兄や友人の影響でバスケットボール部に入部[8]。中学校時代、テレビでスカイダイビングの番組を見たことで、インストラクターになりたいと思った[5][8]。高校3年生の時、多摩川の河川敷でパラグライダーの練習をしている人と出会い、話を聞くうちにパラグライダーをやりたいと思うようになった[8]。その後、パラグライダーについて調べていた際にハンググライダーを発見。「天空の城ラピュタ」の凧や「風の谷のナウシカ」のメーヴェにより近く、自身のイメージにピッタリだと感じたことから、ハンググライダーサークルのある大学に入ろうと決意。行きたい学科や、国立であることも踏まえて選択した東京農工大学に入学し、ハンググライダーを始めた[5]。 世界選手権初出場[編集] 大学1年生でライセンスを取得。その後は他大学の先輩の活躍がきっかけとなり、自身も大学2年の8月に行われた池田山カップに初出場。出場者60~70人のうち13位という好成績を収め、それ以降国内シリーズ戦に出場するようになった。2回目に出場した大会は、石川県で行われたデサントバードマンカップ獅子吼であり、ゴールしたことでより一層競技大会にのめり込むこととなった。その後、他大学の先輩がハンググライダーの鍛錬を目的とした休学をすることを受け、自身も大学2年生の終わりから1年間休学。主に国内での練習を行っていたが、最後の3か月でオーストラリアの大会に4つ出場。初参加となる海外の大会で180kmもの長距離を飛びゴールしたことで、「世界的な大会でも戦える」という感触を得た[9]。 2006年、学生最後の年に行われたプレ世界選手権で、上位30位以内である29位に入ったことにより、世界選手権の出場権を獲得[4]。 2007年、社会人1年目の年にアメリカで行われた世界選手権に初出場したが、82位という不本意な結果となった[9]。ハンググライディング日本選手権で6位、X’mas Cupで1位[7]。 世界選手権でのメダル獲得を目指して[編集] 2008年、ハンググライディング日本選手権で9位、紀の川スカイグランプリで4位、板敷スプリングフライトで2位[7]。 2009年、East Japan

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城間幹子 – Wikipedia

日本の政治家 城間 幹子 しろま みきこ 那覇軍港にて。2014年(平成26年)10月8日撮影。 生年月日 (1951-01-20) 1951年1月20日(71歳) 出生地 米国統治下の沖縄沖縄群島・島尻郡伊是名村 出身校 宮城教育大学教育学部卒業 前職 中学校教諭那覇市教育長那覇市副市長 所属政党 無所属 公式サイト 城間みきこ 公式サイト

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ロゴグラポス – Wikipedia

ロゴグラポス(ロゴグラフォス、ギリシャ語:λογογράφος, logographos,複数形:ロゴグラポイ、ログラフォイ, 英語:Logographer)とは、古代ギリシアの職業。歴史と法律の分野で使われるが、意味は異なる。語源は、logos(話、散文)+grapho(書く)。 ロゴグラポスとは、「歴史の父」と呼ばれるヘロドトス以前の史学史家・年代記作者のこと。ヘロドトスは自分のことを「ロゴポイオイ(λογοποιόι, logopoioi, 単数形:ロゴポイオス)」と呼んでいた。語源はlogos(話、散文)+poieo(作ること)。トゥキュディデスは自分より前の歴史家をすべてロゴグラポスと呼び、その中にはヘロドトスも含まれていた[1]。 ロゴグラポスは小アジアのイオニアおよびその島々の出身者が多かった。地理的に、東と西の遠い国々に関する知識を得るのに好都合だったからだろう。ロゴグラポスたちはイオニア方言で書き、叙事詩を手本にして、詩的性格を持っていた。ロゴグラポスの書くものは、都市の創設、支配者一族の系譜、個人個人のしきたり・習慣に関連した伝説・言い伝え、つまり創設神話を、荒っぽくこじつけたようなものだった。科学的な批判精神はまったくなく、そのために歴史学者ではなく、年代記作者と呼ばれることが多い。 最古のロゴグラポスとして名前を挙げられるのが、紀元前6世紀のミレトスの人カドモスで、ミレトスの歴史を書いたと言われる。しかし、伝説上の人物だった可能性もある。 ロゴグラポスの全盛期は、紀元前6世紀の中頃からペルシア戦争の時(紀元前492年 – 紀元前449年)までだった。紀元前400年頃に死んだレロスのペレキュデースが最後のロゴグラポスと言われている。 そんなロゴグラポスの中で、ミレトスのヘカタイオスは神話の歴史と現実の歴史を分離しようと試みた。それは完全に成功したわけではなかったが、真の歴史学発展の中で、きわめて重大なステップとなった。ヘロドトスも『歴史』の中でヘカタイオスだけは引用している。 ヘロドトス以降、ロゴグラポスは衰退していったが、ヘレニズム期になって、いくらか人気を取り戻した。 同じ神話の言い伝えを共有しながら、叙事詩環の叙事詩人たちとロゴグラポスたちが違ったのは、散文で、「ただ連結しているだけ」[2]の書き方で書いていたことである。 著名なロゴグラポス[編集] ハリカルナッソスのディオニュシオスは、古典世界で有名だったロゴグラポスの名前を挙げている[3]。 ロゴグラポスとは、法廷弁論を書くことを職業とする人、つまり演説作者のこと。現代のスピーチライターとほぼ近い。 古代のアテナイでは、法は、訴訟当事者(原告・被告)に対して、裁判官の前で続けて演説してそれぞれの主張を申し立てることを求めていた。この時代、弁護士はおらず、法はそれぞれの訴訟当事者に、友人あるいは親戚のうち1人のみ応援することを許した。しかし、それでも心許ないと思った時、訴訟当事者はロゴグラポスに演説の作成を依頼した。訴訟当事者たちはロゴグラポスが作った演説を暗記して、裁判官の前でそらで述べた。この職業を最初に始めた人々の中にはアンティポンがいる。政治色を帯びた訴訟の裁判から、その後、多くのロゴグラポスたちが政治の舞台でも活躍するようになった。 著名なロゴグラポス[編集] 参考文献[編集]

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フレディ・ムーラー – Wikipedia

フレディ・ムーラーFredi Murer 本名 Alfred Melchior Murer 生年月日 (1940-10-01) 1940年10月1日(81歳) 出生地 ベッケンリード 国籍 スイス   受賞 ロカルノ国際映画祭金豹賞1985年『山の焚火』エキュメニカル審査員賞1985年『山の焚火』 テンプレートを表示 フレディ・ムーラー(Fredi Murer、あるいはフレディ・M・ムーラー、Fredi M.

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賛皇県 – Wikipedia

賛皇県(さんこう-けん)は中華人民共和国河北省石家荘市に位置する県。 569年(開皇16年)、隋朝により賛皇県が高邑県より分割設置された。北宋の1072年(熙寧5年)から1086年(元祐元年)及び元代の1265年(至元2年)から1270年(至元7年)まで廃止された時期があるが、近代まで沿襲された。 1958年に元氏県に編入されたが、1962年に再設置され現在に至る。 行政区画[編集] この節の参考資料[1] 鎮・郷 社区・村 賛皇鎮 東街村、南街村、西街村、北街村、南関村、見守村、東石家荘村、南溝村、北溝村、馮家荘村、南羊角村、北羊角村、上王小峪村、下王小峪村、胡家荘村、曲江村、饒陽村、東白草坪村、花林村、孫荘村、西高村、寨里村、東高村、延康村、玉遷村 院頭鎮 院頭村、西会村、口頭村、南峪村、曹家荘村、河東村、趙家荘村、河荘村、呉家廟村、賈溝村、杜家溝村、石路村、叩家庵村、花木村、老師会村、花園村、北花園村、大家峪村、瓦窯村、胡家庵村、上麻村、下麻村、桃幇村、斉家荘村、申峪村、肖家荘村、小石門村、大石門村 南邢郭鎮 南邢郭村、北邢郭村、趙家廟村、陳村、南馬村、北馬村、東陳家荘村、東王俄村、西王俄村、東郭家荘村、王家洞村、水窪村、白家窯村、東風村、河北賛皇経済開発区 嶂石岩鎮 虎寨口村、野湖泉村、王家坪村、三六溝村、下大凡村、上大凡村、蘇家台村、軟棗会村、嶂石岩村 西龍門郷 竹山村、白鹿村、梅家荘村、布古荘村、西江洞村、東江洞村、西龍門村、東龍門村、楡底村、東壇山村、西壇山村、白壁村、南徐楽村、尹家荘村 南清河郷 郭万井村、武家村、馮家村、嘉応寺村、北清河村、南清河村、回車村、郭荘村、北壕村、南壕村、趙堡村、九龍関村、孤山村、永豊村 西陽沢郷

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レオノール・ミカエリス – Wikipedia

Leonor Michaelisレオノール・ミカエリス 生誕 (1875-01-16) 1875年1月16日 ドイツ国 ベルリン 死没 1949年10月8日(1949-10-08)(74歳) アメリカ合衆国 ニューヨーク 国籍 ドイツ 研究機関 フンボルト大学ベルリン名古屋帝国大学ジョンズ・ホプキンス大学ロックフェラー医学研究所 出身校 アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクフンボルト大学ベルリン 主な業績 ミカエリス・メンテン式 プロジェクト:人物伝

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スクリーニング細胞診 – Wikipedia

スクリーニング細胞診とは細胞検査のことで、screening とは検査を意味する英語、すなわち子宮頸部粘液や喀痰等から異常細胞を見つける検査のことである。検査結果はClass分類や陰性・疑陽性・陽性などの用語を用いて報告される。 肺がん検診で行われる喀痰細胞診、子宮頸がん検診で行われる子宮頸部細胞診などが含まれる。がん検診が目的のときは診療報酬の対象ではない。 単に細胞を検査することを目的とし、病変を判断しないので医行為には属さない。臨床検査技師等に関する法律にある病理学的検査の一種である。検診細胞診という表現も可能ではあるが、診療報酬点数表に記載することなどを考え、検診という用語を避けてスクリーニング細胞診という、医学用語にありがちな、わざと患者に意味が分かりにくい用語が造られている。病変部について診断を目的とする診断細胞診と対比される。 病変の判断を目的として病変部から採取された被検査物を用いる診断細胞診と対比される。病変について良性や悪性などを診断することは医行為。 陰性やClassⅠ,Ⅱは細胞診検査士の裁量で細胞診検査士が報告し、疑陽性、陽性やClassⅢ,Ⅳ,Ⅴは細胞診専門医や病理医が報告するのが日本では一般的である。医師が担当する細胞診については診療報酬の評価がないが、検査で異常があった場合に再検または要診察などを行うので、そのときの病変部の細胞診断について診療報酬を評価すべきであるとの考え方もある。 喀痰細胞診による肺がんスクリーニング[編集] 胸部エックス線検査と喀痰細胞診による肺がん検診については、死亡率減少効果を示す相応な根拠があるとされている[1]。 子宮頸部細胞診による子宮頸がんスクリーニング[編集] 子宮頸がん検診では子宮頸部細胞診(子宮頸部の表面から綿棒などでこすりとった細胞を顕微鏡で調べること)で受診者の約1%が精密検査が必要となり、約0.06%でがんが発見されるという[2]。 尿細胞診による膀胱・尿路腫瘍スクリーニング[編集] 血尿がある場合等に膀胱や尿路由来の腫瘍細胞が尿に出ることがある。尿から細胞診標本を作製してスクリーニングする。 口腔粘膜細胞診による口腔がんスクリーニング[編集] 口腔がんの早期診断・治療のために口腔粘膜擦過細胞診を含む口腔がん検診があるがまだ広がってはいない。 ^ https://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/03/dl/s0301-3a.pdf 市町村事業における肺がん検診の見直しについて がん検診に関する検討会 中間報告 平成20年3月 ^ http://ganjoho.ncc.go.jp/public/pre_scr/screening/uterine_cancer/02.html#prg1_1 国立がんセンターがん対策情報センター

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デュークス郡 (マサチューセッツ州) – Wikipedia

デュークス郡(英: Dukes County)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の南部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は16,535人であり、2000年の14,987 人から10.3%増加した[1]。郡庁所在地はエドガータウン町(人口4,067人[2])であり、同郡で人口最大の自治体でもある。デュークス郡はマーサズ・ヴィニヤードとエリザベス(カティハンク島を含む)諸島で構成されている。 この諸島には昔、ワンパノアグ族インディアンが住み、幾つかの集落を造っていた。イギリス国王が2人の貴族に与えた島の政治的支配権は、重複した所があった。マサチューセッツ湾植民地の開拓者トマス・メイヒューが1641年にこの土地を購入した。メイヒューはその新領土に植民地を造り、インディアンから慎重に土地の権利を購入し、インディアンの統治が妨げられずに続くようにしていた。1665年、メイヒューの土地はヨーク公に与えられた土地特許に含まれた。1671年、土地の所有権について解決策が示され、メイヒューはその領地をニューヨーク植民地の管理下に置くことで所有権を認められた。 デュークス郡は1683年11月1日にニューヨーク植民地のデュークス郡として設立され、メイヒューの領地であるマーサズ・ヴィニヤード、ナンタケット、エリザベス諸島が含まれていた。1691年10月7日にマサチューセッツ湾植民地に移管され、同時にナンタケットは別のナンタケット郡となった。1695年、「デュークス郡という名前で」 (“Dukes County”) 法人化された。これは標準的な形態 (“county of Dukes”) とすると “County of Dukes County” というように冗長な形になり、それを避けるためだった[3]。 アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は490.95平方マイル (1,271.6

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回心 – Wikipedia

回心(かいしん、英: conversion)は、神に背いている自らの罪を認め、神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す。日本語訳の「回心」は仏教用語の「回心(えしん)」の流用または誤用である。回心(かいしん)は他の宗教での類似の体験について一般的に用いられることもある[1]。 キリスト教における回心[編集] 聖書の用語[編集] 旧約聖書では「シューブ」(「向きを変える」「帰る」の意味。)と「ナハーム」(悲しみの感情を伴って悔い改める)というヘブル語が用いられる。新約聖書では「エピストゥレフォー」(方向転換して戻る)と「metanoeo メタノエオー」(悔い改める)というギリシア語が用いられる。名詞形が μετάνοια,metanoia「悔い改め」である。 カトリック教会[編集] この節の加筆が望まれています。 プロテスタント[編集] 改革派[編集] 回心の二つの要素は悔い改めと信仰であり、聖霊によって新生した者が、回心を自覚するとされ、新生は神の側のことで、回心は人間の側の事であると定義される。また、改革派系では回心は一度限りのことであり、第二の回心はない[2]。 ウエスレアン・アルミニアン神学[編集] ウエスレアン・アルミニアン神学では形式上の信者が、心から信じるようになる体験(第二の回心)を意味する場合もある。 正教会[編集] 正教会において、回心は神成の始まりであり、死にいたるまで続く新生の涙の感動であると捉えられる。回心は恩寵への入り口として通過されるべき一つの段階ではなく、絶えず続く状態(神との一致)を渇望する者の恒常的態度であり、洗礼後に神から与えられる「第二の誕生」である[3]。 回心は、高慢や無知から自身を「恩恵の状態にある」と考える、新約聖書に登場するファリサイ派の心の状態とは全く逆のものである[3]。 「回心は – 救いを願う罪人にも義人にも –

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