製鉄記念広畑病院 – Wikipedia

製鉄記念広畑病院(せいてつきねんひろはたびょういん)は、兵庫県姫路市にある新日本製鐵(現、日本製鉄)系列の病院である。1940年開院の日本製鐵広畑製鐵所病院を前進とし、3度の改称を経て現行の名称となった。

姫路市広畑地区は長らく新日鉄広畑製鐵所の企業城下町であり、製鉄所の立地する浜手一帯には新日鐵関連の諸施設、社宅等が立ち並んでいた。当病院もその一つである。地元での略称としては「新日鉄病院」等が用いられた。(バス停名など)

1980年代に入ると広畑製鐵所は規模縮小され、それに伴い病院周辺の労働会館、社宅、運動場等が姿を消していく中、当病院は存続した。現在は新日鐵直営から医療法人社団を経て社会医療法人に移行している。兵庫県立姫路循環器病センターと統合し総合病院化も含めて姫路駅東の再開発地域への移転を検討している
[1][2]

平成に入ると路線バスが病院正面へ乗り入れるなどアクセス改善が進み、また長年古びたモルタル建築の病棟だけだったが新館が建設された。旧館群は、独特の濃い肌色の外観を持つ。

兵庫県立加古川医療センターを基地病院とする兵庫県南部ドクターヘリの準基地病院として共同運用、運航している。

  • 1940年(昭和15年)9月 – 日本製鐵広畑製鐵所病院として開院。
  • 1949年(昭和24年)10月 – 一般診療を開始。
  • 1950年(昭和25年)4月 – 日本製鐵解体に伴い、富士製鐵広畑製鐵所病院と改称。
  • 1951年(昭和26年)4月 – 医療法に基づく総合病院として認可される。
  • 1955年(昭和30年)10月 – 旧・本館(現在の北館)が竣工。
  • 1970年(昭和45年)3月 – 新日鉄(現・日本製鉄)発足に伴い、新日鐵広畑病院と改称。
  • 1973年(昭和48年)10月 – 東館が竣工。
  • 1981年(昭和56年)7月 – 中央診療棟(現在のサービスセンター)が竣工。
  • 1998年(平成10年)4月 – 新日鉄直営から、医療法人社団新日鐵広畑病院として独立。
  • 2000年(平成12年)3月 – 新本館が竣工。
  • 2011年(平成23年)4月 – 社会医療法人に移行し、製鉄記念広畑病院に改称。
  • 2013年(平成25年)3月 – 姫路救命救急センター開設
  • 本館
  • 新館
  • ローソン
  • リハビリセンター

関連施設[編集]

  • 職員食堂
  • アカシア寮

医療機関の指定等[編集]

  • 保険医療機関
  • 救急告示医療機関
  • 労災保険指定医療機関
  • へき地医療拠点病院
  • 指定自立支援医療機関(更生医療)
  • 臨床研修指定病院
  • 生活保護法指定医療機関
  • 特定疾患治療研究事業委託医療機関
  • 結核指定医療機関
  • 指定養育医療機関
  • 原子爆弾被害者医療指定医療機関
  • 母体保護法指定医の配置されている医療機関

夢前川西岸に立地。

これら店舗の敷地に、かつて新日鐵関連施設・社宅等があった。

アクセス[編集]

鉄道
路線バス

神姫バスが運行。

  • 「製鉄記念広畑病院」下車すぐ
    • 28系統 姫路駅北口 ←→ 製鉄記念広畑病院 (玉手経由)
    • 29系統 姫路駅北口 ←→ 製鉄記念広畑病院 (東町坪経由)
    • 30系統 姫路駅北口 ←→ 製鉄記念広畑病院 (青山経由)
    • JR網干駅 ←→ 製鉄記念広畑病院
  • 「夢前町一丁目」下車東へ200m。
    • 29系統 姫路駅北口 ←→ 新日鉄 (東町坪経由)
    • 30系統 姫路駅北口 ←→ 新日鉄 (青山経由)
自動車

医療事故[編集]

平成27年7月、消化管内視鏡検査検査において消化管内の洗浄に際して精製水を注入するところを、誤ってホルマリン液が注入された。50人あまりが誤投与を受けたとされている。2016年10月13日に70代の男性患者とその家族より後遺症が残ったとして兵庫県警察に業務上過失致傷容疑で告訴状を提出されるも不起訴となった。
[3]
 

  1. ^ 兵庫県立循環器病センターと広畑病院が統合協議へ
  2. ^ 姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院が統合へ
  3. ^ NHKニュース 2016年10月13日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]