董同龢 – Wikipedia

董同龢(とう どうわ[1]、1911年10月12日 – 1963年6月18日)は、中国・台湾の言語学者。とくに上古音の研究で知られる。

生涯と業績[編集]

董同龢の実家は江蘇省如皋だが、雲南省昆明の祖父の家で生まれ、4-5歳のときに実家に帰った。のちに父が故宮博物院に職を得たため、一家で北京に移った。

1932年に清華大学に入学し、王力に音韻学を学んだ。1937年に卒業し、中央研究院歴史語言研究所に入った。日中戦争によって歴史語言研究所が奥地に移転すると、それに従って雲南省・四川省に移った。歴史語言研究所では1939年に米国から帰国した李方桂に音韻学を学んだ。董同龢は『湖北方言調査報告』の編集に参加し、また1940年に歴史語言研究所による雲南省と四川省の方言調査に従事した。「華陽涼水井客家話記音」(『集刊』[2]19、1948)は四川省の客家語を調査したもので、従来の方言研究が漢字の読みにかたよっていたのを改め、通常の話し言葉をもとにして音韻体系をまとめている。

1949年に歴史語言研究所とともに台湾に移り、国立台湾大学の教授に就任した。

上古音研究に関する主著『上古音韻表稿』(1944年出版)は、ベルンハルド・カールグレンの上古音の枠組みに基本的にはよりつつ、その多くの問題点を修正した。

「広韻重紐試釈」(『集刊』13、1948)では中古音の重紐を主母音の違いであると考えた。

『中国語音史』(中華文化出版事業委員会1954、董同龢没後の1968年に遺稿をもとに増補の上『漢語音韻学』と改題して出版)は中国語の音韻史のすぐれた概説書で、現代から中原音韻・切韻・上古音と古い方へさかのぼる方式で書かれている。

台湾では閩南語の研究を行った。「四個閩南方言」(『集刊』30、1960)で厦門・晋江・龍渓・掲陽方言を記述し、その比較を行った。またツォウ語の研究(『A Descriptive Study of the Tsou Language, Formosa』、没後の1964年に歴史語言研究所専刊48として出版)を行った。

教え子の丁邦新によって『董同龢先生語言学論文選集』(食貨出版社1974)がまとめられている。

  1. ^ 読みは頼惟勤『説文入門』(大修館書店1983)p.304 による。「とう どうか」とも。なお「」は「和」の異体字
  2. ^ 『中央研究院歴史語言研究所集刊』の略。以下同じ

外部リンク[編集]