レ・ポン=ド=セ – Wikipedia

レ・ポン=ド=セLes Ponts-de-Cé)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県のコミューン。

レ・ポン=ド=セの位置

アンジューのコミューンで、ロワール川が横切る。アンジェを取り巻く人口集塊の南側にあたる[1]

言い伝えによれば、ガリア人の攻撃は、作業していた彫刻家を遠ざけることになった。それによって、カエサル(フランス語でCésar)の最後の音節が刻まれなかったという。このようにコミューン名の接尾辞について説明されている[2]

古い名前が以下のように残っている。Castro-Seio (889年)、Pon Sigei (1009年)、In Saiaco (1036年)、Saiacus (1090年)、Seium (1104年)、Pons Sagei (1115年)、Pons Sagii (1148年) Pons Saeii (1291年)、Le Pont de Sae (1293年)、Les Ponts de Sée (1529年)[3]Les Ponts de Cé(1793年)、Pont-de-Cé(1801年)、その後Les Ponts-de-Céとなった[4]

869年、シャルル2世は、ロワール川を上り侵攻してくるヴァイキングに対抗するため、レ・ポン=ド=セに要塞橋を築いた[5]。同様の橋の例として、ウール川のポン・ド・ラルシュ、マルヌ川のトリルバルドゥがある。

15世紀、ルイ11世は、この地がアンジュー領内にあったにもかかわらず、しばしばレ・ポン=ド=セに滞在した[6]。確かにその時代、ブルターニュ公フランソワ2世は、公国の独立を維持するため、ブルゴーニュ公シャルル豪胆公を含むフランス王の敵と同盟していた。王にとって、ポン=ド=セの城は、ブルターニュとの間の人の動きを管理できる理想的な場所だった。この目的のため、1472年8月29日に彼は到着した。7月7日、アンスニを、7月21日にプアンセを、国境の町を占領され、フランソワ2世は王国を攻撃する意図を捨てなければならなかった[7]

1620年8月7日にも、レ・ポン=ド=セの戦いが起きている。ルイ13世の支持者と、王太后マリー・ド・メディシスの支持者が衝突したものである。当時、親政を開始してから3年が経過していたが、王太后が再び権力を取り戻そうとしていた。同盟者の一部が離脱したため、王太后軍は戦う前にすぐに指揮できなくなってしまった。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年 2013年
5911 7175 9589 10739 11032 11387 11434 12112

参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。1999年までEHESS/Cassini[8]、2004年以降INSEE[9][10]

ギャラリー[編集]

  1. ^ IGN, Géoportail Les Ponts-de-Cé, consulté le 11 mai 2014.
  2. ^ Maguelonne Toussaint-Samat, Récits des Châteaux de la Loire, 1970, p. 18, Ed. Fernand Nathan.
  3. ^ Célestin Port, Dictionnaire historique géographique et biographique de Maine-et-Loire, 1874-1878, Édition révisée de 1989 par André Sarazin et Pascal Tellier, t. 3, p. 263.
  4. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27522
  5. ^ Michel Dillange, Les comtes de Poitou, ducs d’Aquitaine : 778-1204, Mougon, Geste éd., coll. « Histoire », 1995, 303 p., ill., couv. ill. en coul. ; 24 cm (ISBN 2-910919-09-9, ISSN 1269-9454, notice BnF no FRBNF35804152), p. 59.
  6. ^ Joseph Vaesent et Étienne Charavay, Lettres de Louis XI, tome XI « Itinéraire », Librairie Renouard, Paris 1909.
  7. ^ Jean Favier, Louis XI p. 637 et 642, Fayard, Paris 2001.
  8. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27522
  9. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  10. ^ http://www.insee.fr