トマス・ハワード (第5代ノーフォーク公) – Wikipedia

第5代ノーフォーク公爵トマス・ハワード(英: Thomas Howard, 5th Duke of Norfolk、1627年3月9日 – 1677年12月13日)は、イングランドの貴族。

1652年に父よりアランデル伯爵位を継承し、ついで1660年には高祖父トマスが保有したノーフォーク公爵位の復権を勅許された。心神喪失者であり、死去するまでイタリアに監禁されていた。

1627年3月9日、第22代アランデル伯爵ヘンリー・ハワードとその妻エリザベス(第3代レノックス公爵エズメイ・ステュワート英語版の娘)の息子としてロンドン・ストランド・アランデル・ハウス英語版に生まれる[1]

1652年4月17日に父の死去により第23代アランデル伯爵以下6つの爵位を継承。1654年6月3日にシュルーズベリー伯爵タルボット家出身の祖母アレシア・ハワード英語版の死去により第14代ファーニヴァル男爵英語版と第15代タルボット男爵英語版を継承した。さらに王政復古後の1660年12月にはチャールズ2世により高祖父トマスが保有していたノーフォーク公爵位の復権を勅許され、第5代ノーフォーク公爵となった[2]

しかし彼は18歳の時の1645年に熱病を患ったのが原因で訳のわからないことばかりしゃべる心神喪失者になったといい、死去する1677年まで長弟ヘンリー(後の第6代ノーフォーク公爵)によってイタリア・パドヴァに監禁され続けた[3][4]。これについて末弟はヘンリーによる公位簒奪と議会に訴えているが、結局不問に終わった[5]。興味を持った回想録作家のリアズビーが真偽を確かめるべくパドヴァまで行ってノーフォーク公と会見したが、彼は帰国後に議会で「公爵は心神喪失者の特徴をすべて備えている」と証言している[3]

1677年12月31日にイタリア・パドヴァで死去[1]。爵位は弟のヘンリーが継承した[5]

1652年4月17日の父ヘンリー・ハワードの死により以下の爵位を継承した[1]

1654年6月3日に祖母アレシア・ハワード(旧姓タルボット)英語版の死により以下の爵位を継承[1][6]

1660年12月29日に高祖父トマス・ハワードが保有していた以下の爵位の復権が認められた[1][6]

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社〈平凡社新書020〉、1999年。

    ISBN 978-4582850208。

  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年。ISBN 978-4469240979。