デビッド・デヘスース – Wikipedia

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デビッド・クリストファー・デヘスースDavid Christopher DeJesus, 1979年12月20日 – )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。

プロ入り前[編集]

1997年にMLBドラフト43巡目でニューヨーク・メッツから指名されたが、契約せずにラトガース大学へ進学[1]

ロイヤルズ時代[編集]

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2000年のMLBドラフト4巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、プロ入り[1]。マイナーリーグベースボール(以下:MiLB)時代はけがに悩まされていた[2]

2003年は健康を維持でき[2]、9月2日のレンジャーズ戦でメジャーデビューを果たした。GM補佐のフランク・ホワイトは「ベルトランのような身体能力はないが、野球に対する感覚はいいものを持っている」とお墨付きを与えた[2]

2004年開幕をMLBで迎えた。5月9日時点で打率.043の成績で、MiLBに落とされた。6月24日にカルロス・ベルトランがヒューストン・アストロズにトレードされ、その穴埋めとして再びメジャーに昇格してからは、1番中堅手に定着し、閉幕にかけて打率3割を上回るを記録。新人王の投票で6位に入った。

2005年に課題と言われていた左投手が改善された[3]

2006年シーズン開幕前の3月9日に5年総額1,380万ドル(6年目の2011年は球団オプション)で契約延長した[4]。4月21日にハムストリングを痛め故障者リスト入りとなったが[5]、5月末に復帰。出場試合数は昨年を下回ったが、83得点・打率.295など自己ベストを更新。

2007年は後半戦の打率が.223で、トータルで.260と自己ワーストとなったが、自己ベストとなる101得点・64四球・死球23(リーグ1位)を記録するなどチャンスメーカーとしての役割を果たした[6]

アスレチックス時代[編集]

2010年11月11日にビン・マザーロ、ジャスティン・マークスとのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍。オフの10月31日にFAとなった。

カブス時代[編集]

2011年11月30日、2年総額1000万ドルの契約でシカゴ・カブスに入団。

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2013年シーズンはネイト・シャーホルツの加入で右翼手から中堅手に転向。

ナショナルズ時代[編集]

2013年8月19日に金銭トレードでワシントン・ナショナルズへ移籍。3試合に出場しただけだった。

レイズ時代[編集]

2013年8月23日にトレードでタンパベイ・レイズへ移籍。移籍後は35試合に出場し、打率.260・2本塁打・11打点・2盗塁という成績を残した。カブス、ナショナルズとの合算では、122試合で打率.251・8本塁打・38打点・5盗塁という成績であった。なお、レイズでのポジションはレフトがメインであり、27試合でDRSは – 2だったものの、失策なしと堅実さは見せた。センター・ライトも、それぞれ7試合と4試合で守ったが、こちらもエラーは0だった。オフの11月6日に総額1050万ドルの2年契約を結んだ[7]

2014年は好調を維持していたが、6月に死球を受けて骨折し、故障者リスト入りを余儀なくされた[8]。その影響もあり、83試合の出場に留まり打率.248・6本塁打・19打点という成績に終わった。なお、この年は指名打者での出場がメインであり、外野3ポジション全てを守る機会があったものの、試合数自体は少なかった。

2015年は左翼手がメインに戻り、82試合に出場。打撃面では打率.259・5本塁打・26打点・3盗塁という成績を記録した。5号本塁打はキャリア99本目の本塁打であり、通算100本塁打に王手をかけた状態になった。左翼手の守備力は、1失策・守備率.989・DRS + 4という成績だった。指名打者として出場したのは22試合であった。

エンゼルス時代[編集]

2015年7月28日、マイナー選手1名とのトレードでロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍し[9]、翌29日のヒューストン・アストロズ戦に1番中堅手で先発出場した[10]。エンゼルス加入後は、30試合で打率.125と苦しんだ。守備では左翼手11試合、中堅手と右翼手各2試合で守り、全て無失策でこなした。なお、レイズとの通算打撃成績は、112試合の出場で打率.233・5本塁打・30打点・3盗塁というものだった。球団が契約オプションを破棄したため11月7日にFAとなった[11]

現役引退後[編集]

2017年よりシカゴのスポーツ専門局であるNBCスポーツ・シカゴ英語版の解説者に就任し[12]、2019年まで務めた[13]

選手としての特徴[編集]

妻は、元ファッションモデルのキム・デヘスース[14]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
2003 KC 12 10 7 0 2 0 1 0 4 0 0 0 1 0 1 0 1 2 0 .286 .444 .571 1.016
2004 96 413 363 58 104 15 3 7 146 39 8 11 8 0 33 0 9 53 6 .287 .360 .402 .763
2005 122 523 461 69 135 31 6 9 205 56 5 5 5 6 42 1 9 76 6 .293 .359 .445 .804
2006 119 552 491 83 145 36 7 8 219 56 6 3 2 4 43 4 12 70 10 .295 .364 .446 .810
2007 157 703 605 101 157 29 9 7 225 58 10 4 7 4 64 7 23 83 10 .260 .351 .372 .722
2008 135 577 518 70 159 25 7 12 234 73 11 8 4 4 46 3 5 71 10 .307 .366 .452 .818
2009 144 627 558 74 157 28 9 13 242 71 4 9 5 5 51 0 8 87 10 .281 .347 .434 .781
2010 91 394 352 46 112 23 3 5 156 37 3 3 3 1 34 2 4 47 10 .318 .384 .443 .827
2011 OAK 131 506 442 60 106 20 5 10 166 46 4 3 4 4 45 1 11 86 14 .240 .323 .376 .698
2012 CHC 148 582 506 76 133 28 8 9 204 50 7 8 2 4 61 1 9 89 9 .263 .350 .403 .753
2013 84 318 284 39 71 19 3 6 114 27 3 0 0 0 29 0 5 55 3 .250 .330 .401 .732
WSH 3 4 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
TB 35 117 104 13 27 10 0 2 43 11 2 3 1 1 10 0 1 23 3 .260 .328 .413 .741
’13計 122 439 391 52 98 29 3 8 157 38 5 3 2 1 39 0 6 79 6 .251 .327 .402 .729
2014 83 273 238 24 59 15 2 6 96 19 0 3 0 0 30 1 5 43 7 .248 .344 .403 .748
2015 82 257 232 24 60 8 2 5 87 26 3 2 0 2 19 1 4 39 4 .259 .323 .375 .698
LAA 30 60 56 3 7 1 0 0 8 4 0 0 0 0 2 0 2 13 1 .125 .183 .143 .326
’15計 112 317 288 27 67 9 2 5 95 30 3 2 0 2 21 1 6 52 5 .233 .297 .330 .626
MLB:13年 1472 5916 5220 740 1434 288 65 99 2149 573 66 62 43 35 510 21 108 838 103 .275 .349 .412 .761
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号[編集]

  • 9 (2003年 – 2010年)
  • 12 (2011年 – 同年終了)
  • 9 (2012年 – 2013年途中)
  • 4 (2013年途中 – 同年途中)
  • 7 (2013年途中 – 2015年途中)
  • 3 (2015年途中 – )

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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