オカダ・カズチカ – Wikipedia

オカダ・カズチカ(1987年11月8日 – )は、日本の男性プロレスラー。本名:岡田 和睦(おかだ かずちか)。愛知県安城市出身。血液型はA型。新日本プロレス所属。妻は声優・女優・歌手の三森すずこ[1]

デビュー前 – 闘龍門時代[編集]

オカダは小学校5年生までは安城市に在住していたが、母の郷里である長崎県五島列島の自然に引かれ、そこに住みたいと自分で決めて1年半の間「山村留学」として同地に住み中学入学と同時に安城に戻ったという[2][3]。中学時代は野球に打ち込み、陸上では短距離100メートル走で愛知県大会8位を記録する。中学時代の自己ベストは11.68。野球では目立った実績を残していないが、足は速かったので高校の陸上部からスカウトが来たことがある[2]。プロレスの存在は中学時代に5つ上の兄がたまたま友達から借りてきたプロレスのゲームソフト『新日本プロレス 闘魂炎導 BRAVE SPIRITS』によって知り、これがきっかけで新日本プロレスを録画して見るようになった[2]。しかし新日本の試合を見ていた時期は短く、新日本がいわゆる暗黒期と呼ばれる時代に入っていたことから「プロレスを好きになって最初は見ていたんですけど、新日本がつまらなくなったんです。格闘技に走ったから。それで見なくなりました」と魅力を感じなくなった[2]。オカダの心を掴んだ存在としては他に闘龍門があり、後年の文献では「たまたま家がケーブルテレビに入っていて、それで闘龍門を見たんです。闘龍門には新日本と違っていろんな色の人がいて。赤い人もいれば、緑もいて。黄色だオレンジだって、カラフルで目を引きましたね」と本人が当時を述懐している[2]。闘龍門を見てプロレスの華の部分にひかれたオカダは以降、プロレスファンというよりも闘龍門ファンになり、地元の近くで興業があれば観戦にも出かける熱の入れようであった。15歳でウルティモ・ドラゴンのプロレススクール「闘龍門」の13期生として入門[4]。闘龍門への入学に際して親は最初は高校入学を望んで反対したが、山村留学の例から明らかなように自分で決めたら他者の意見を聞かないオカダの性格を熟知していた親は結局折れてプロレス入りを認めた[2]

オカダが入門したばかりの頃の闘龍門は練習生で飽和状態になっていたため、当時コーチを務めていたミラノコレクションA.T.の証言によると何人か辞めさせるために過度に厳しい練習メニューを課していたという。そこで基礎体力が他の練習生に比べて劣っていたオカダには、過酷な練習メニューが与えられた。ハードな練習が終わっても新弟子にはこれまたハードな雑用というメニューが待っており、寮でのオカダは睡眠時間以外、心身共に休まらない暮らしを強いられた。何度も周囲から「やめるか?」と聞かれても、オカダは自身は中卒なので他に行く所がないと考えていたため「やめないです!」と意地になっていた[2]

2004年8月29日、メキシコ・アレナコリセオにおけるネグロ・ナバーロ戦でデビュー[4]。同年12月のヤングドラゴン杯を制覇する[4]。デビュー後のオカダはウルティモ・ドラゴンからの指名でメキシコ、日本、アメリカ、カナダなどで試合を経験。ドラゴンからスターとしての資質を見抜かれていたオカダは付き人ではなかったが何かとドラゴンに帯同することが多く、若手のうちから様々な経験を積んだ[2]

2007年5月13日、闘龍門MEXICO『ウルティモ・ドラゴン20周年記念&闘龍門メキシコ10周年記念自主興行DRAGOMANIA Ⅱ』アレナ・メヒコ大会に大抜擢され、その時、師匠のドラゴン、ミル・マスカラスと言った大物とタッグを組んだ。日本から来た鈴木みのる、高山善廣と対戦。同年7月22日、「ウルティモ・ドラゴン20周年記念興行」に参戦し、獣神サンダー・ライガー、ミラノコレクションA.T.と組みTAJIRI、折原昌夫、大原はじめ組と対戦。試合に敗れた後、新日本プロレスに入団することを発表した[4]。「自分はやることがなくなっちゃうと変わりたくなるんですよね。高校に行かなかったのも、高校で特にやることが見つからなかったんで、じゃあ、プロレスに入っちゃえって。それでメキシコでやってるうちに、だんだんメキシコでやることもなくなってきて。じゃあ、新日本に行かせてもらえないかなって気持ちが出てきたんです」と後に答えている[2]

新日本プロレスへ移籍 – 再デビュー[編集]

2007年8月に新日本へ移籍、オカダは新弟子として基礎体力作りや受け身、ロープワークなど1からトレーニングを積み直した。メキシコでは基礎体力をつける練習をあまりやっていなかったため、最初の頃の新日本の練習はかなりきつかったという。8月26日の新日本の「LAST OF C.T.U」興行、内藤哲也戦でプレ再デビュー。2008年4月12日に石狩太一(現:タイチ)戦で正式に再デビューを果たした[4]

2009年5月5日、プロレスリング・ノアとの対抗戦に抜擢され、後藤洋央紀と組み杉浦貴、青木篤志と対戦するも、惨敗。翌6日には新日本での試合を終えた後、天山広吉と共にNOAHに参戦。小橋建太、伊藤旭彦組と対戦するが、この試合も敗北を喫した。6月20日には潮崎豪とシングルマッチで激突するも、ピンフォール負け。対NOAH戦3連敗という結果に終わった。

2010年1月19日、TNAへの無期限武者修行を発表[4]。31日に棚橋弘至を相手に壮行試合を行い、渡米する。

2011年1月4日、レッスルキングダムVで後藤洋央紀とのタッグで、杉浦貴、高山善廣組と対戦。高山のエベレストジャーマンで敗北を喫し、この試合後に再びTNAに遠征し、海外武者修行を継続。

2月、同年公開の映画のグリーン・ホーネットの登場人物であるカトーを真似たギミックであるオケイトへと変身。サモア・ジョーの助手として、ディアンジェロ・ディネロと抗争を展開する。5月に新日本プロレスのアメリカツアーのIWGPインターコンチネンタル初代王者決定戦トーナメントに参加。MVPと対戦するが、敗戦。

レインメーカーとして[編集]

レインメーカーのポーズを決めるオカダ・カズチカ。
入場時にばらまかれるレインメーカードル。

2011年[編集]

12月、TNAでの武者修行を経て新日本に凱旋帰国。髪を金髪に染め上げ、ファイトスタイルも従来と比較すると、ヒール寄りのスタイルに変化。凱旋帰国後のインタビューでは「バケモノを越えた存在」「新日本に金の雨を降らせる」(入場時に自身の顔が入った紙幣をばらまく)と豪語し、自らを「レインメーカー」と称した[5]。自身が「レインメーカー」として完成した要因として本人は後に闘龍門、新日本、TNAの3つがあったと振り返っており、後年の文献では「違うんですよ、闘う気持ちっていうのが。闘龍門ではガムシャラに試合していればいいって思ってたんですけど、新日本ではヤングライオンっていうんですか?その気持ちをぶつける。そういうのはいま思えばいい勉強になったなって。だから生え抜きなんですよ。他団体から来たってイチからやってますからね」「TNAではプロレスっていうのは見られている仕事だって習いました。最初に言われたんですよ、『オマエはリングに上がってお客さんになにを伝えたいんだ?』って。普通に出て試合してるだけじゃダメだと。意味わかんなかったですね、最初は」などと話している[2]

2012年[編集]

1月4日、レッスルキングダムVIの舞台でCMLLから凱旋帰国したYOSHI-HASHIとダブル凱旋帰国試合を行い、勝利を収める[4]。メインイベント終了後、IWGPヘビー級王座を保持する棚橋弘至の前に現われ、挑戦表明を行う[4] が、観客からブーイングで拒絶され、時期尚早というスタンスを取った棚橋から「IWGPは遠いぞ」「挑戦したいんだったら、力で上がってこい」と一蹴される[6]。しかし、翌日の会見でオカダはマネージャーの外道を伴い、同王座挑戦を改めてアピール。結果的に正式な選手権試合が組まれる事となり、次期シリーズよりCHAOSの一員として活動を開始する。

2月12日、THE NEW BEGINNINGにて、棚橋の保持するIWGPヘビー級王座に初挑戦。レインメーカーでピンフォールを奪い、中邑真輔に次ぐ史上2番目の若さで同王座を戴冠した[4]。その後、3月4日後楽園大会の「新日本プロレス創立40周年記念興行」で内藤哲也を、5月3日にはNEW JAPAN CUP覇者の後藤洋央紀を相手に防衛に成功する。

6月16日、DOMINION6.16で、棚橋を相手に3度目の防衛戦を行ったが、ピンフォール負けを喫し王座から陥落した。

8月、G1 CLIMAXに初出場。リーグ戦を1位で通過し、決勝戦でカール・アンダーソンと対決。この試合を制し、初出場・初優勝並びに史上最年少優勝記録を樹立[4]。試合後のインタビューで「翌年1月4日東京ドーム大会のメインイベントでのIWGPヘビー級王座挑戦」の確約を要求。後日の会見で、菅林直樹社長から東京ドームIWGPヘビー級王座挑戦権利書を授与される。

10月8日両国大会でアンダーソン、11月11日大阪大会で後藤洋央紀と挑戦権利証を賭けた試合でいずれも勝利を収めると、正式な挑戦者として受理。その日に王座を防衛した棚橋弘至に対して「これからは逸材に代わって、レインメーカーが新日本プロレスを引っ張っていきますんで、お疲れ様でした」と同年の1月4日東京ドーム大会で同王座の挑戦表明をした際に発した台詞で挑発した[7]

12月10日、東京スポーツ主催のプロレス大賞で最優秀選手賞(MVP)、ベストバウト賞を受賞した[8]。また、最優秀選手賞は1983年に受賞した初代タイガーマスク以来となる最年少タイ記録を更新した。また、日刊バトル大賞プロレス部門でも最優秀選手賞、殊勲賞、最高試合賞を受賞[9] し、前述のプロレス大賞と併せると五冠王に輝いた。

2013年[編集]

1月4日、レッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場し、IWGPヘビー級王座を賭けて棚橋と三度激突した。互いのフィニッシュ・ホールドを巡る攻防の末、棚橋のハイフライフローで敗北した。その後、一昨年より新日本に参戦している鈴木みのる率いる鈴木軍と抗争を展開、2月10日広島大会で鈴木と対戦するがピンフォール負けを喫し、シングル2連敗とスランプに陥った[10]

3月、「己に慢心があった」と分析したオカダはハングリー精神を取り戻すため、世田谷区内の高級住宅に引っ越し、家具も一新した。高級車であるシボレー・コルベットを購入し、約1000万の散財をするという行動に出た[10][11]。11日に開催されたNEW JAPAN CUPでは、決勝戦で後藤を下し優勝する。4月7日両国大会でIWGP王者の棚橋と再戦しレインメーカーでピンフォール勝ちを収め、第59代王者に輝いた[10]。8月18日、凱旋帰国後初の他団体としてDDTプロレスリングに参戦。「両国ピーターパン2013」にて飯伏幸太とシングルマッチで対戦し、勝利を収めた。

2014年[編集]

4月6日、タマ・トンガ、バッドラック・ファレとのタッグ戦の勝利後リングへ乱入したAJスタイルズに襲撃され失神してしまう。AJはその場でマイクを持ってIWGPヘビー級王座挑戦を宣言[12]。5月3日、レスリングどんたく2014にて、AJスタイルズに敗れ、長らく保持し続けたIWGPヘビー級王座から陥落する[13]。5月25日、BACK TO THE YOKOHAMA ARENAにて、王座奪還に向けてAJスタイルズと対戦した。BULLET CLUBの高橋裕二郎の介入もあったが、前の試合で裕二郎に奇襲された石井智宏が迎撃した。しかし、AJのブラディーサンデーからのスタイルズクラッシュを受けて敗北。王座奪還はならなかった[14]

7月2日に西武ドームで行われた西武 – 日本ハム戦の始球式にリングコスチュームで登板、球速106km/hを計測した。オカダは「200キロは出てなかったですかね?気持ち良かったです」、「ここで試合ができると思うとテンションが上がりますね。決勝まで勝ち上がって優勝したいと思います。」とコメントしている[15]

8月10日、G1 CLIMAX 24西武ドーム大会の決勝戦で同門のCHAOSの中邑と対決し勝利し2度目のG1制覇を果たした[16]。その後、東京ドームIWGPヘビー級挑戦権利証を授与される。

10月13日 両国国技館大会でIWGPヘビー級挑戦権利証を賭け、内藤と対戦し勝利を収め2015年1月4日、レッスルキングダム9のメインイベントで第61代同王者棚橋との試合が決定した。

2015年[編集]

1月4日、レッスルキングダム9のメインイベントでのIWGPヘビー級の奪取に失敗、試合後花道で涙を流すなど今まで見られないような素顔を見せた。

3月22日放送の『ビートたけしのスポーツ大将』では番組内のコーナー「復活!暴流闘くんに挑戦」に出演。暴流闘くんと短距離走で対決している[17]

4月5日、1月から3連敗を喫していたバッドラック・ファレにレインメーカーで勝利、抗争に決着を付けた。メインイベント後に乱入しIWGPヘビー級王者AJスタイルズにレインメーカーを炸裂させ同王座への挑戦を表明した。7月5日、大阪城ホール大会にてAJに勝利し、IWGPヘビー級王座を奪還した。

8月、G1 CLIMAXに出場。順調に白星を積み重ねたが、最終公式戦で中邑真輔にギブアップ負けを喫し、予選敗退となった。また、2012年に凱旋帰国してから初めてのギブアップ負けであった。

8月16日、6人タッグマッチながらもAJスタイルズにピンフォール負けを喫した。また、この日の休憩時間に天龍源一郎から引退試合の相手に指名され、これを受諾した。

10月12日、KING OF PRO-WRESTLINGにてAJスタイルズを退け、IWGPヘビー級王座初防衛に成功した。

11月15日、天龍プロジェクト両国大会のメインイベントで、この試合を最後に引退する天龍とシングルマッチで対戦し、勝利を収めた。

12月8日、東京スポーツ主催のプロレス大賞において、最優秀選手賞(MVP)並びに上記の天龍×オカダのカードが年間最高試合賞(ベストバウト賞)を受賞した。

2016年[編集]

1月4日のレッスルキングダム10で前年のG1を制した棚橋と対戦して勝利。

2月11日、後藤に勝利し3度目の防衛に成功する。

3月、CHAOSの新メンバーとしてウィル・オスプレイの加入を発表。NEW JAPAN CUPの決勝で敗退した後藤をCHAOSに勧誘。後藤が応じた事でCHAOSに加入する。

4月10日、両国大会でNEW JAPAN CUPを制した内藤哲也と対戦したが、突如乱入したロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのSANADAの介入に苦しめられ、最後は内藤のデスティーノで敗れて王座から陥落した。

6月、大阪城ホール大会で、内藤に勝利し王座を奪還した。

8月、G1 CLIMAX 26の準決勝進出。棚橋とドローになり決勝進出を逃した。

10月8日、NOAHのGHCタッグ王座にYOSHI-HASHIとタッグを組み丸藤正道、矢野通組に挑戦するも敗戦。

10月10日、両国大会にて、丸藤正道とのIWGPヘビー級選手権試合に勝利する。

2017年[編集]

1月4日、レッスルキングダム11で、G1覇者のケニー・オメガとの45分を超える試合を制して王座を防衛した。

2月5日、THE NEW BEGINNING in SAPPOROにて、鈴木みのるとの40分を超える試合に勝利し、3度目の防衛に成功。

4月9日、SAKURA GENESIS 2017にてNJP覇者の柴田勝頼と対戦。試合後に柴田が救急搬送されるほどの激しい戦いを制し、4度目の防衛に成功。

5月3日、レスリングどんたく2017のメインとしてバッドラック・ファレと対戦。レインメーカーを決めて勝利し、5度目の防衛に成功。試合後、1月に死闘を演じたケニー・オメガをIWGPヘビー次期挑戦者に指名した。

6月11日、保険見直し本舗 Presents DOMINION 6.11 in OSAKA-JO HALLにおいて、自らが挑戦者として指名したケニー・オメガと対戦。60分で決着がつかずに引き分けとなり、6度目の防衛に成功。[18]

7月1日、新日本プロレス初となるアメリカでの単独興行・ロングビーチ大会でCody戦を制して、IWGPヘビー級王者の7度目の防衛に成功。

8月、G1 CLIMAX 27に出場。本大会では優勝した暁には、自身が始めた1.4東京ドームでのIWGPヘビー級王座への挑戦権利書の廃止を公言。Bブロック破竹の6連勝で、ぼぼ決勝を確定させたかと思われたが8月5日、大阪大会でロスインゴベルナブレスデハポンのEVIL戦に敗れ連勝ストップ。さらにこの試合、場外でパイプ椅子上に叩きつけられ首を負傷した。次戦で鈴木みのると引き分けるも、執拗なまでに痛めた首を責められ悪化。
8月12日、ポイント上引き分けでも決勝進出となる決勝進出決定戦でケニー・オメガに敗れ、本年も予選敗退となった。

10月9日、両国国技館大会にてEVILとの防衛戦に勝利し、IWGPヘビー級王者の8度目の防衛に成功。

2018年[編集]

1月4日、東京ドーム レッスルキングダム12のメーンイベントにてG1覇者の内藤戦を制して、IWGPヘビー級王者の9度目の防衛に成功。またあわせて橋本真也の持つ防衛日数の歴代1位の更新を確実とした。

1月13日、東京スポーツにて、声優・歌手の三森すずこと2017年8月から交際している事が明らかとなった[19]。この日の夜にはオカダ・三森双方共に自身のTwitterで正式に交際を認めている[20]

2月10日、大阪大会でSANADA戦を制して、IWGPヘビー級王座の10度目の防衛に成功。

4月1日、SAKURA GENESIS 2018 東京・両国国技館でザック・セイバーJr.の関節技に苦しめられながらも勝利し、防衛記録タイとなる11度目の防衛に成功(V11)。試合後には観客の歓声に答える形で同記録保持者の棚橋弘至がリングに姿を表し次回挑戦を表明し、バックステージではオカダもそれを了承した。

5月4日、福岡国際センター大会で棚橋弘至との死闘を制して、防衛新記録となる12度目の防衛を達成。試合後にはオカダ自ら2017年大阪城ホールで引き分けだったケニー・オメガを指名し、リングに姿を現したケニーに対し時間無制限を要求した。しかしこの提案に対してケニーからはより楽しみたいという理由から時間無制限三本勝負を提案され、それを快諾した。

6月9日、DOMINION 大阪城ホールでIWGPヘビー級選手権試合時間無制限3本勝負[21] にて1-2でケニー・オメガに破れ、王座陥落。この時点でのIWGPヘビー級王座のベルト保持日数は720日となり、史上最長記録となった。

8月12日、日本武道館で開催された『G1 CLIMAX 28』はAブロック予選を勝ち点13で2位となったが1位で勝ち点15の棚橋に予選通過を譲った(棚橋は同トーナメントを優勝)。負けた試合のうちどちらかを勝っていれば棚橋とは同率1位となり、合計勝ち点の差で予選通過(いわゆるオポネント抜け)していた計算になる。同予選で唯一となる時間切れ引き分けを棚橋との対戦で記録している[22][23]。翌日の試合終了後、自ら「マネジャーの外道さんに頼らずに1人でやっていくことにしました」とコメントし、6年半続いた外道とのコンビ解散を表明した[24]

9月23日、兵庫・神戸ワールド記念ホールで行われた「DESTRUCTION in KOBE」の第9試合で、棚橋弘至とIWGPヘビー級王座挑戦権利証争奪戦を行うが、ハイフライフローで敗れる[25]。試合終了後、ジェイ・ホワイトがリングに乱入し、ブレードランナーで棚橋をKO。場内が大ブーイングに包まれる中、ジェイは同じCHAOSの同門であるはずのオカダにも襲い掛かってストンピングを連発する。さらに、オカダに反旗を翻した外道により椅子で背中を殴打され、完全にKOされた[26]

10月8日、東京・両国国技館で行われた「九州三国志 presents KING OF PRO-WRESTLING」の第8試合終了後、敗れたジェイ・ホワイトが勝った棚橋弘至にブレードランナーを見舞おうとしたところ、オカダが棚橋の救出に登場する。場内は大きな「オカダ」コールに包まれるが、突然現れたBULLET CLUB OGの罠にかかり、オカダもKOされた[27]

10月27日、東京・後楽園ホールで行われた「九州三国志 presents Road to POWER STRUGGLE」第8戦の第4試合、CHAOS組(オカダ・カズチカ&矢野通&バレッタ&チャッキーT&ロッキー・ロメロ)対BULLET CLUB OG組(ジェイ・ホワイト&バッドラック・ファレ&タマ・トンガ&タンガ・ロア&外道)の試合は、外道がロメロから3カウントを奪った[28]。試合終了後、オカダがジェイに襲い掛かるが、返り討ちにあう。その後、ジェイがブレードランナーの体勢に入ったところ、棚橋弘至が登場し、オカダを救出した。ここで棚橋がオカダへ声をかけ、2人でタマにダブルバックエルボーをお見舞い。館内が棚橋コールに包まれる中、棚橋が両手の人差し指を立ててからオカダに握手の手を差し出す。これで場内が「オカダ」コールに包まれると、オカダも同じように左右の人差し指を立て、そこから棚橋とガッチリ握手。場内が大歓声に包まれた[29]

2019年[編集]

1月4日、「WRESTLE KINGDOM 13 in 東京ドーム」の第7試合で、因縁のジェイ・ホワイトとスペシャルシングルマッチを行うが、ブレードランナーに敗れる[30]
3月、4年ぶりにNEW JAPAN CUPに出場。負けなしで決勝戦まで進み、同じく決勝に勝ち残ったSANADAに勝利し、2013年の初出場以来2度目の優勝となった。

4月6日(現地時間)、マディソン・スクエア・ガーデンにて行われた「G1SpecialCard」のメインイベント(第10試合)で因縁があるジェイ・ホワイトとIWGPヘビー級選手権を行い、レインメーカーでジェイ・ホワイトに勝利。IWGPヘビー級王座に5度目の載冠を果たした。

4月12日、前年より交際していることが報じられていた声優・歌手の三森すずことの結婚を双方のSNSを通じて発表した[31]

7月、G1 CLIMAX 29にIWGPヘビー級王者として参戦し、開幕6連勝をキープするも、大阪でSANADAに初敗北する。そして浜松でEVILに勝利し7勝1敗となるも、飯伏に初敗北を喫し、優勝決定戦進出とはならなかった。そして優勝決定戦直前に組まれた、
オカダ・カズチカ&棚橋弘至 vs 鈴木みのる&ザック・セイバーJr.にて、鈴木みのるのゴッチ式パイルドライバーでまさかのフォール負けを喫してしまい、8月31日のロンドン大会での鈴木とのIWGPヘビー級選手権が決定する。

8月31日、ロンドン大会にて鈴木みのるを相手に防衛し、次の挑戦者にG1で敗れたSANADAを指名。そして10月の両国大会でIWGPヘビー級選手権が決定する。

10月14日、両国国技館大会にて、SANADAと8度目のシングルとなるIWGPヘビー級選手権にて、開脚式の変形ツームストン・パイルドライバーからのレインメーカーで勝利。この試合は東スポプロレス大賞の年間ベストバウトに選ばれる。試合後、1月4日東京ドーム大会にて飯伏幸太との試合が決定する。

2020年[編集]

1月4日の東京ドーム大会でIWGPヘビー級選手権を飯伏幸太と行い、5度目の防衛に成功。観客動員を実数発表した2016年以降初の4万人超えを記録したが、それでも4万3000人の超満員を公言していたため「超満員にならなかった」と本人は悔やんでいた[32]

1月5日、東京ドーム大会2日目。内藤哲也の保持するIWGPインターコンチネンタルとのIWGP二冠戦で敗れ王座陥落。

2月2日、北海きたえーる大会2連戦最終日にてタイチとシングルマッチで激突。2人がシングルで激突するのは、2008年4月12日のオカダの新日本デビュー戦以来約12年ぶりである。タイチが猛攻するもオカダも意地を爆発させ、最後は旋回式ツームストンパイルドライバーからのレインメーカーで勝利した。また、試合後のマイクで「札幌大会、何も起きなかったので、僕が今、気になっている人のことを言わせてください。おいアントニオ猪木ーーー!」と叫んだ。

2月16日、三森すずことの結婚式を挙げた。

6月、都内某所にてアントニオ猪木との対談が実現。

6月、NEW JAPAN CUPにエントリー。外道[33]、永田裕志[34]、石森太二 [35]、高橋ヒロム[36]を下して決勝進出も、7月11日の大阪大会でEVILに敗れ連覇はならなかった[37]

7月28日、オンライン会見にて新タイトル「KOPW2020」の発表を行った。

8月、NEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメントに矢野通、SHOとトリオで決勝まで進出するも、後藤洋央紀&石井智宏&YOSHI-HASHIのトリオとの同門対決に敗れる。その後、KOPW2020にエントリー。1回戦で高橋裕二郎&邪道&外道との1vs3ハンディキャップマッチに勝利。

29日明治神宮野球場大会にて、KOPW2020決勝4WAYマッチに出場するも最後は矢野通による急所打ちからの丸め込みでフォール負けを喫した。

10月、G1 CLIMAX 30にエントリーした。

10月16日、Aブロック最終戦でオスプレイと対戦するも、オスプレイのセコンドに付いていたビー・プレストリー、さらには海外武者修行中だったグレート-O-カーンの乱入により敗れ、試合後にはオスプレイのヒドゥン・ブレイドを喰らい、裏切られる形となった[38]。翌日にはSHOと組みオスプレイ&O-カーン組と戦うもまたも敗れ、O-カーン及び2人の立ち上げたユニットであるTHE EMPIREとの因縁が勃発した[39]

11月7日、O-カーンとのシングルマッチに勝利。試合後にはオスプレイから、翌2021年の東京ドーム大会でのシングルマッチを提案された[40]

2021年[編集]

1月4日の東京ドーム大会で、オスプレイとのシングルマッチに勝利。前年2月以来封印していたレインメーカーを11ヶ月振りに解禁した。

G1 CLIMAX 31にてBブロックを8勝1敗1位で優勝決定戦に進出。Aブロック1位飯伏幸太を相手に試合中の怪我によるレフェリーストップではあったが勝利。7年ぶり3度目の優勝を果たした。その後のマイクでは、「怪我により敗戦した飯伏幸太を待つ間、G1チャンピオンの証として4代目のIWGPヘビー級王座のベルトを自分に預けて欲しい」と新日本プロレスに要望をした[41]。この要望はそのまま通り、翌年の東京ドーム大会で行なわれるIWGP世界ヘビー級王座挑戦権利証の代わりとして4代目のIWGPヘビー級王座のベルトを保持することになった[42]

11月6日のエディオンアリーナ大阪大会で、タマ・トンガを相手にIWGP世界ヘビー級王座挑戦権利証の防衛に成功、翌年の東京ドーム大会で行なわれるIWGP世界ヘビー級王座の挑戦が確定した[43]

2022年[編集]

1月4日の東京ドーム大会で、IWGP世界ヘビー級王者の鷹木信悟に挑戦して勝利、同王座を初戴冠した。長年親しんできた4代目のIWGPヘビー級王座のベルトに「ありがとうございました」と深々と礼をして別れを告げ、IWGP世界ヘビー級王座のベルトを腰に巻いた[44]。翌5日の東京ドーム大会では、オスプレイの挑戦を退け、IWGP世界ヘビー級王座の初防衛に成功。試合後には内藤から挑戦表明を受けた[45]

1月8日の横浜アリーナ大会で行われたプロレスリング・ノアとの対抗戦では、IWGP USヘビー級王座を保持する棚橋と王者タッグを結成し、武藤敬司&清宮海斗と対戦。レインメーカーで清宮を下すと、「こんなんで泣いてんじゃねえぞ。さっさと帰れ」と厳しい言葉を浴びせた[46]

2月20日、札幌大会にて内藤と2度目の防衛戦に臨み、掟破りのデスティーノを繰り出すなど、激闘を制し勝利。試合後には改めて内藤への感謝を述べると共に、IWGPジュニアヘビー級王者であるエル・デスペラードをNEW JAPAN CUP1回戦の相手に指名した[47]

3月1日、日本武道館での旗揚げ記念日第七試合メインイベントで、棚橋弘至・藤波辰爾と組み、鈴木みのる・ザック・セイバーJr.・ 藤原喜明と対戦し、レインメーカーで鈴木から勝利。試合後のマイクでは「まだまだ新日本プロレス50周年背負ってプロレス界を盛り上げていきます」と所信表明した[48]

『NEW JAPAN CUP』では1回戦でデスペラード、2回戦でマスター・ワト、3回戦でタイチ、準々決勝でGLEATから参戦し勝ち進んできたCIMAとの闘龍門対決[49]を制しベスト8入り。

ゲン担ぎとしてビッグマッチ前には牛丼を食べている[50]。2012年の初タイトル挑戦の際、緊張で食欲がなく、それでもおなかに何かを入れようと試合会場近くの牛丼店に入り、結果的に初戴冠となったため。ベストは吉野家で、食べるのはショウガやトッピングもつけないシンプルな牛丼であるという[50]。実は注射が苦手で看護師さんに手を握ってもらっていたことがあるという。嫌いな色は緑。

190cmを超える恵まれた体格を持ちながら瞬発力・跳躍力・スタミナにも長けており、日本人としては類稀に見るフィジカルから放たれる技はどれも凄まじい説得力を誇る。中でも「無尽蔵」と称されるスタミナはオカダの強さの象徴でもあり、長期戦になるほど本領を発揮する。

フィニッシュ・ホールド[編集]

レインメーカー
凱旋帰国後のオカダのオリジナルにして代名詞的なフィニッシュ・ホールドで、変形のショートレンジ式アックスボンバー[51]
ジャーマン・スープレックスの体勢で相手の腰に手を回し、左手で掴み取った相手の右腕を引っ張った勢いで体を向き合わせ、自身の右腕を相手の喉元に目掛けて叩き付ける。
天を仰ぐように両腕を広げた通称「レインメーカー・ポーズ」で観衆を煽ってから、相手の背後に忍び寄り、放っていくのが定番のムーブであったが、この技を危険視する選手が増え始め、かわされる事も多くなっている。
その為、対戦相手との技の読み合い(かわし合い)からの流れで放っていくケースや、下述のドロップキック→ツームストーン・パイルドライバーのコンボから繰り出される事も多々ある。
2013年10月14日のIWGP戦では、逆さ押さえ込みの導入部分の体勢から、右腕のフックを外し、相手と向かい合わせになったところを放っていく型を披露した。
2014年8月10日のG1 CLIMAX24優勝決定戦では正面から引き込む型を披露した。
さらに同年G1 CLIMAXの初戦であるAJスタイルズ戦でジャーマンスープレックスからクラッチを離さずレインメーカーというコンビネーションを披露。以降タイトルマッチ等のビッグマッチで使用。
先述のG1優勝決定戦で中邑真輔相手にレインメーカー3連発でようやく勝利してG1優勝を成し遂げた。それ以来大舞台でオカダが強いと認めた相手に対しては3連発でフィニッシュにする事がある。
ネックブリーカー・ドロップ式レインメーカー
アメリカのTNAへの海外遠征中に既に考案していたが初公開されたのは2012年1月4日に新日本プロレス東京ドーム大会で行われたYOSHI-HASHIとの凱旋帰国試合。
相手の背後を取り相手の腰に手を回し、左手で掴み取った相手の右腕を引っ張った勢いで体を向き合わせ、自身のほうに引き寄せながら相手の右横を通り抜け、相手ののど元に右腕を引っかけて両足を前に出してジャンプし、相手を後方に転倒させて後頭部をマットに叩きつける変型フライング・ネックブリーカー・ドロップ。G1 CLIMAX 28で久々に解禁して以降時々使用する。
以降フォームの修正が成されて現在の型となる。
ローリング式・レインメーカー
相手と向かい合ったあと右足を軸にして体を左方向へと捻って半身の体勢になったところで軸足を左足に切り替えて更に捻りを加えて相手に背を向けた状態になって体を軽くジャンプしてリズムをとって再び軸足を右足に切り替えて左方向へと捻って左足で踏み込みながら相手の首にラリアットを叩き込む。
マネークリップ
2020年のNEW JAPAN CUPから使用。レインメーカーに代わる現在のフィニッシュ・ホールド。
尻餅をついた相手のサイド・ポジションから左手首を右手で掴み取り、相手の左腕をくの字に折り曲げながら相手の頭上に持っていき、内側から自らの左腕を相手の首に前腕を押し付けながら徐々に締め上げる変形のコブラ・クラッチ。

打撃技[編集]

ドロップキック
新人時代から愛用し続けているオカダを象徴する技の一つ。
身体能力を生かした高い打点とフォームの美しさが特徴で、走り込んできた相手に向かって放つカウンター式やトップコーナー上に座らせた相手に向けて放ち、場外へと転落させる型などを得意としている。
試合終盤でかなりの体力を消費しながらも尚安定した高い打点で放つことが出来るのも特徴の一つであり、起死回生の一発に使われることも多い。
ジョン・ウー
相手に向かって走り込み、腹部に向かって突き上げるように放つドロップキック。
スライディング・キック
ロープ際に相手をフライングメイヤーでダウンさせた後、ロープに走り込んで側頭部に向かって放つ。
エルボー
エルボー・スタンプ
エルボー・スマッシュ
振り抜き式、かち上げ式、スライディング式の3種類に使い分けている。
バックエルボー
張り手
ビッグブーツ
蹴りを見舞おうとした相手の足を捕らえた後、一回転させて正面に向き直った相手に対して、間髪入れずに放っていく。

投げ技[編集]

ツームストーン・パイルドライバー
相手をオクラホマ・スタンピードの体勢で持ち上げて、真っ逆さまにして持ち上げて抱え込み、そのまま相手を頭頂部からマットへ激突させる。ヒールターン後に首殺しの一環として使用し始めた技。タイトルマッチの際は場外で繰り出す荒技を敢行することもある。
ゴッチ式・ツームストーン・パイルドライバー
2013年5月、対鈴木みのるのIWGP戦では通常のツームストーン・パイルドライバーの体勢から股をクラッチするように持ち替えて落とすタイプを披露した。みのるのゴッチ式パイルドライバーを意識して繰り出した技なでゴッチ式ツームストーン・パイルドライバーと呼称されている。オカダは2013年のIWGP防衛戦後のインタビューでは「もうあの技、やることはないでしょう」と答えていたが、2014年8月のG1でのみのる戦でも再び繰り出している[52]
相手をオクラホマ・スタンピードの体勢で持ち上げて上下逆さまになった相手の股の間に正面から右腕を差し込み、相手の右腿を抱える形で自身の両手をクラッチして正座をするように折り畳み、落下させた相手の頭部を打ちつける。
旋回式ツームストーン・パイルドライバー
2017年1月4日、レッスルキングダム11のIWGP防衛戦でケニー・オメガに対して披露。
相手をオクラホマ・スタンピードの体勢で持ち上げて上下逆さまにして抱え込んで旋回しながら相手の頭頂部からマットへ突き刺す技。
走ってきた相手をツームストーン・パイルドライバーの体勢で相手を真っ逆さまにして持ち上げて抱え込んで自ら横にくるっと旋回しながら相手の頭頂部から落とすバージョンも使用。
鈴木鼓太郎が使うエクスカリバーと同型。
開脚式ツームストーン・パイルドライバー
開脚式ツームストーン・パイルドライバー
2019年10月14日、KING・OF・PRO-WRESTLING 東京・両国国技館でのIWGP防衛戦でSANADA戦で見せた技。
相手をオクラホマ・スタンピードの体勢で相手を真っ逆さまに持ち上げて抱え込んでみちのくドライバーIIの体勢で、相手の頭部をマットに突き刺す技。
リバース・ネックブリーカー
相手を逆さまの状態で背中に担ぎ上げ、頭部を右脇下で抱え込み、そこから勢いよく片膝をついて相手の後頭部を突き出した右膝に打ち付ける変形ネックブリーカー。レインメーカーへの布石となる重要な繋ぎ技。
1月4日のYOSHI-HASHI戦では抱え上げた状態から尻餅をつき、相手の後頭部を自らの右腿に叩きつける変形のシュバインという形で披露されている。
ヘビーレイン
相手をファイヤーマンズキャリーの体勢で両肩に担ぎ上げ、そこから右手で相手の下半身を押し上げることで大きく弧を描くように相手を反転させ、後頭部から背中からマットに叩きつける変形ファイヤーマンズ・キャリー・スラム。高身長を生かしたダイナミックな大技。
ボビー・ルードの使用するルード・ボムと同形。主に大一番の試合の際に見かけられる技。
ジャーマン・スープレックス
新人時代のフィニッシュ・ホールド。レインメーカー習得後は「体が固いから」[53] という理由で使用を控えていたが、2014年3月6日の飯伏幸太戦で久々に披露。
近年[いつ?]はブリッジでホールドせずにクラッチを維持したまま起き上がり、そのままレインメーカーへ繋げる形を試合の終盤によく繰り出している。
ロープハング・オーバーDDT
リング上で待ち構え、セカンドロープからリングインしようとしている相手に仕掛けることが多い。自ら相手をロープ外に放り込み技をかけている。
DDT
前述のリバース・ネックブリーカーDIDに並ぶ首殺しの一環に使用される技。大一番の際は、場外の鉄柵に相手の足を掛けて繰り出す、断崖式DDTもよく繰り出している。
フラップジャック
チェンジ・オブ・ペースとして使用。
相手がロープへ走るのを見計らいながら放つ型を好んで使っている。主に、試合の前半に使用する。
変形大外刈り
柔道の大外刈りの応用で、カウンターで使用することもある。ヤングライオン時代には繰り出していたが、現在は全く見られなくなった。
クロスアーム・ネックブリーカー・ドロップ
相手の両腕を捉えて放つクロスアーム式ネックブリーカー・ドロップ。繋ぎ技として使用している。

締め技・関節技[編集]

DID(DEEP IN DEBT)
「借金で首が回らない」の意。相手の両腕を膝で絡めて封じこみ、自らはマットに背中をつき、四つん這いになるように引き起こされた相手の首を締め上げるサブミッション。
レッドインク
相手の足をクロスさせてから極める変型のキャメルクラッチ。
「赤字」の意で、そこから転じて「これで終わり」という意味が込められており、「鈴木軍を壊滅させる為につくった」とインタビューで語っている[54]
コブラクラッチ
コブラホールド
胴締め式コブラホールド。
2018年1月4日の内藤哲也戦が決まるも焦らず飄々した態度を取り続ける内藤に出した奥の手。技自体は大谷晋二郎のものと同形。「レッスルキングダム12」前哨戦数試合では必ず繰り出していた。「ジャベジャベ言われてるけどジャベだけじゃねえぞ。しっかりと絞め落としてやる」と試合後コメントで語っている。
コブラクラッチ・ホールド
背後から相手の左脇下に差し込んだ自らの左腕を首元に添え、右手で相手の左腕を捕らえ、首に巻きつけることで頸動脈を圧迫する変形スリーパー。

飛び技[編集]

ダイビング・エルボー・ドロップ
滞空時間と高さがある。この技から相手の背後に周り、「レインメーカーポーズ」を決め、レインメーカーを繰り出すなど主に布石として使用している。
セントーン・アトミコ
2013年から使用。通常はコーナートップから前方回転で浴びせる技だが、オカダはエプロンからトップロープを飛び越え放つ。
トペ・コンヒーロ
若手時代からの得意技。凱旋帰国後は、ごく稀に使用する。近年はよく繰り出している[55]
ミサイルキック
コーナーポスト上から飛んで、相手を両足裏で蹴り飛ばす。長身のため、非常に高さがある。
凱旋試合ではさらに滞空時間が増したが、通常のドロップキックでも強烈なインパクトなためか以降大一番でしか使われていない。
フライング・ボディ・アタック
場外戦で時折使用する。鉄柵を飛び越えるほどの跳躍力を見せる。
スーパーフライ
棚橋との試合で1度だけ使用したため掟破りのハイフライフローと称されたが本人はあくまで外道の得意技であるスーパーフライであると断言している。

入場テーマ曲[編集]

自身の必殺技、ニックネームと同名の凱旋帰国後のテーマ曲。2012年1月 – 現在まで使用。
前奏付きでアレンジが施されているテーマ曲は「RAIN MAKER-20130104-」の名称で知られており、2013年1月4日に初披露となっている。
  • Kick it, that makes funk me
2008年4月 – 2010年1月まで使用。
2007年8月まで使用。
最初期のテーマ曲。
  • 振られ気分でロックンロール
メキシコでのデビュー戦にて

決め台詞[編集]

  • 「○○に金の雨が降るぞ〜!」
主に興行の締めに使用される。○○には「新日本プロレス」「プロレス界」あるいは興行の開催地などが入る。当初はスポークスマンの外道が発していたが、現在はオカダ自身が発している。
  • 「特にありません」
対戦相手に関する質問をされた時などに眼中にないという意図で発言される。
  • 「○○さん、お疲れさまでした」
主に先輩レスラーへの侮辱としての意味合いで使用されるが、オカダのベビーフェイス色が強くなってからは、賛辞の言葉としても使用される。
  • 「3つ言わせて下さい」
こちらも興行の締めで使用される。内容は対戦相手への感想や今後の展望、次回興行や関連商品の告知などで、3つ目は上述の「特にありません」と言った後「と、言いたいところですが」と繋がる事が多い。
  • 「プロレスラーは超人です」
2017年5月のレスリングどんたくの試合後に発した言葉。本間朋晃や自らの前回の防衛戦の相手であった柴田勝頼が相次いで欠場し危険な技の応酬を危惧する声が多くなっていたがそのような意見を突っぱねて見せた。
  • その他、凱旋帰国以降オカダは原則として、たとえ敵対勢力・他団体の選手であっても先輩レスラー(外国人選手を除く)に対しては名前に「さん」をつけ敬語を崩さず、そのまま相手を見下すような発言を行うことによってキャラクター像を作り上げている。ただし激昂した時には敬語を崩すこともあり、2018年の棚橋弘至戦のように、相手を侮辱するためにあえて呼び捨てにすることもある。

タイトル ・ 表彰[編集]

闘龍門MEXICO
新日本プロレス
  • IWGP世界ヘビー級王座 : 1回(第4代)
  • IWGPヘビー級王座 : 5回(第57代、第59代、第63代、第65代、第69代)保持期間歴代最長記録保持者。最多連続防衛記録保持者。最多通算防衛記録保持者。
  • G1 CLIMAX優勝 (2012年、2014年、2021年)最年少優勝記録保持者。
  • NEW JAPAN CUP優勝(2013年、2019年)最年少優勝記録保持者。
プロレス大賞
  • 最優秀選手賞(2012年、2013年、2015年、2019年)
  • 年間最高試合賞
    • 2012年(6月16日大阪府立体育会館、IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ vs.棚橋弘至)
    • 2014年(8月10日西武ドーム、G1 CLIMAX 24 優勝決定戦、オカダ・カズチカ vs.中邑真輔)
    • 2015年(11月15日天龍源一郎引退興行・両国国技館:天龍源一郎引退試合、 天龍源一郎 vs.オカダ・カズチカ)
    • 2016年(7月18日北海道立総合体育センター:G1 CLIMAX26 Aブロック公式リーグ戦、 丸藤正道 vs.オカダ・カズチカ)
    • 2017年(1月4日東京ドーム、IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ vs.ケニー・オメガ)
    • 2018年(6月9日大阪城ホール、IWGPヘビー級選手権試合3本勝負、オカダ・カズチカ vs.ケニー・オメガ)
    • 2019年(10月14日両国国技館、IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ vs.SANADA)
    • 2020年(1月5日東京ドーム、IWGPヘビー級&IWGPインターコンチネンタルダブル選手権試合、オカダ・カズチカ vs.内藤哲也)
日刊バトル大賞 プロレス部門
  • 最優秀選手賞(2012年、2013年、2015年、2017年)

イメージキャラクター[編集]

メディア出演[編集]

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

  • バディファイト 真夏の激熱SP!!ふなっしー VS オカダ・カズチカ (2014年8月16日、テレビ東京) – 実写パート主演・本人役[60]
  • フューチャーカード バディファイト100 (2016年1月30日 – 2月6日、テレビ東京) – 本人役

このほかに2016年のテレビアニメ『タイガーマスクW』では劇中のキャラクターとして「オカダ・カズチカ」が登場している。(声は森田成一)

バラエティ[編集]

映画[編集]

アニメ映画[編集]

ラジオ[編集]

ゲーム[編集]

ミュージックビデオ[編集]

  • 「GET READY」サイプレス上野とロベルト吉野(2016年12月1日)[65]

単行本[編集]

  • 人生に金の雨を降らせる黄金律(レインメーカールール)(2014年9月、ベースボールマガジン社)ISBN 978-4-583-10757-8[66]
  • 新日本プロレスブックス オカダの部屋(2016年12月17日、イースト・プレス)
  • 「リング」に立つための基本作法(2021年12月25日、幻冬舎)[67]

写真集[編集]

  • オカダ・カズチカ I’m O.K.!(2015年11月6日、主婦と生活社、撮影:堤隆繁)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]