深谷亮司 – Wikipedia

深谷 亮司(ふかたに りょうじ、1974年12月9日 – )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。

来歴・人物[編集]

福岡県立八女工業高等学校から進んだ九州共立大学では柴原洋と同期で3年秋ベストナイン、4年時に前田浩継とのバッテリーで大学選手権準優勝。河合楽器に入社。正捕手として活躍し、2001年の第72回都市対抗野球大会優勝にも貢献した。同年にチームが休部となったあと、ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブに13巡目で指名され入団した。当時オリックスが下位指名選手に対し行っていた、契約金0円選手のひとりである。

しかし、入団時27歳という高齢や右肩の故障がネックになり、たった1年で戦力外通告を受け現役を引退。オリックスのブルペン捕手に転身した。2005年にオリックスと近鉄が合併した際に育成部門へ異動し、同年末に退団。

2006年より2年間四国アイランドリーグ、徳島インディゴソックスのコーチを務める。2008年より新設された福岡レッドワーブラーズのコーチに就任。チームが活動を休止するまで2シーズン務めた。福岡退団後、横浜ベイスターズ二軍のブルペン捕手となったが[1]、2011年のシーズン終了後に解雇された[2]

2012年よりは社会人野球のNOMOベースボールクラブのコーチを[3]、その後は熊本ゴールデンラークスのヘッドコーチを務めていたが[4]、2016年末に退部した。

2016年の学生野球資格回復研修を受講した上で、翌2017年2月7日に日本学生野球協会より学生野球資格回復の適性認定を受けたことにより、学生野球選手への指導が可能となる[5]

選手としての特徴[編集]

アマチュア時代は主に4番捕手として活躍。チャンスの強さにも定評があった[6]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 57 (2002年)
  • 117 (2003年 – 2004年)
  1. ^ 福岡RWコーチ・深谷亮司 – 本人ブログ(2010年5月16日)
  2. ^ 「裏方スタッフ10人解雇…横浜」スポーツ報知2011年10月25日
  3. ^ トピックス”. NOMOベースボールクラブ (2012年2月6日). 2017年2月27日閲覧。
  4. ^ 熊本ゴールデンラークス”. 社会人野球ドットコム. 2017年2月27日閲覧。
  5. ^ 元ヤクルト宮本慎也氏ら132人が学生野球資格回復 – 大学・社会人”. 日刊スポーツ (2017年2月8日). 2017年2月8日閲覧。
  6. ^ 山本清春『野球バッティング』株式会社西東社、2000年、215ページ、

    ISBN 4-7916-1030-X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]