Month: May 2019

熱海海上花火大会 – Wikipedia

地図 熱海海上花火大会(あたみかいじょうはなびたいかい、英: Atami Fireworks Festival[2])とは、静岡県熱海市の熱海湾海上で、毎年10数回(15回程度)行われている花火大会。 1952年(昭和27年)に開始[1]。伝統的な8月5日の固定日開催の花火大会の他、春季(4月-6月)・夏季(7月-8月)を中心に、秋季(9月-10月)や冬季(12月)の数回も加え、年に合計10回以上(15回程度)開催される[1][3]。 通常の開催時間は、20:20〜20:50の30分間であり、その間に約5000発の花火が打ち上げられる。最大号数は通常10号(1尺玉)だが、8月の最終回だけは年1回の20号(2尺玉)が打ち上げられる。 打ち上げ場所は、熱海港埋め立て地の北部にある「七半(ナナハン)岸壁」から「海釣り施設(堤防)」にかけてのエリアであり、「デジタルスターマイン」と、フィナーレの「大空中ナイアガラ」が特徴・呼び物となっている。 三方を山に囲まれた「天然のスタジアム(シアター)」とも呼べるすり鉢状の地形のため[1]、基本的に市街地のどこからでも花火とその大音響を鑑賞・体験できるが、観光客のためのメインとなる鑑賞場所としては、熱海サンビーチと親水公園・渚小公園、および渚町一帯が想定されている。 花火大会当日は、親水公園のデッキ上に屋台が数十軒出店され、またデッキ上に1席1000円の有料観覧席が1600席程度と、加えて熱海温泉ホテル旅館協同組合の加盟施設への宿泊者専用の無料観覧席が用意される。 花火大会時間中は、熱海サンビーチと東駐車場・ジャカランダ遊歩道(お宮緑地)の間の「バイパス道路」や、(国道135号を除く)「渚町一帯の道路」が通行止めにされて歩行者天国にされ、また地元のコミュニティFMであるFM熱海湯河原(Ciao!)によって中継も行われる。 2020年度以降の特殊事情 2020年(令和2年)は、新型コロナウィルス予防のため、4月-7月の花火大会は中止され、8月以降は開催時間を20:30〜20:45の15分間に短縮・圧縮(打ち上げ数は同じ)して開催するなど、例年とは異なる開催方式となっている。 さらに、観光庁による「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成実証事業」の支援を受け、 11月と翌年1月の最終金曜日に、10分間の小規模花火大会開催(1500発、水中花火あり[4])。 12月23日-25日のクリスマス期間に、5分間の小規模花火大会開催(600発、音楽付き[4])。 翌年の(例年は花火大会が行われない)2月-3月にも、数回の花火大会開催。 が予定される(しかも、これらを含む11月-3月の間の大会では交通規制無し)など、例年には無い新たな試みが行われている[5]。 2021年度(令和3年)は、7月初頭に伊豆山で発生した土砂災害と、東京オリンピックと同時期に発生した新型コロナウィルスの最大ピーク「第5波」の影響で、夏季の花火大会が全面的に自粛中止された。 しかし、その代わり、10月23日に文化庁「ウィズコロナに対応した文化資源の高付加価値化促進事業」として、8つの花火店(煙火店)が参加して、18:00-21:30に、音楽と共に5500発の花火を打ち上げる「SHIZUOKA・ATAMI

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ジョシュ・バーフィールド – Wikipedia

ジョシュア・ラロイ・バーフィールド(Joshua LaRoy Barfield、1982年12月17日 – )は、ベネズエラ・ララ州バルキシメト出身の元野球選手。二塁手、右投右打。 父親がジェシー・バーフィールドで、弟はジェレミー・バーフィールドである。 プロ入り前[編集] ジェシーが冬季リーグへ出場するため、妊娠した妻を同伴してベネズエラに渡り、彼女が同国ララ州バルキシメトでジョシュを出産した[1]。アメリカ合衆国テキサス州のクライン高校に入学。 プロ入りとパドレス時代[編集] 2001年にドラフト4巡目(全体120位)でサンディエゴ・パドレスから指名を受け、プロ入り。 2004年・2005年の2年連続でベースボール・アメリカ誌から「パドレスのトップ・プロスペクト(最有望株)」という評価を受ける[2][3]。2005年にAAA級(マイナーリーグの一番上のクラス)で打率.310・15本塁打・72打点・20盗塁という成績を残す。 2006年に、スプリングトレーニングでのマーク・ベルホーンとのポジション争いを制し、4月3日にメジャーデビュー。正二塁手として150試合に出場し、主に8番打者として打率.280・13本塁打・58打点・21盗塁を記録した。7月には打率.400で月間最優秀新人賞を受賞したが、シーズン終了後の新人王投票では得票なしに終わった。 インディアンス時代[編集] 2006年11月、ケビン・クーズマノフとアンドリュー・ブラウンの2人とのトレードでクリーブランド・インディアンスに移籍した。 2007年は開幕から正二塁手として出場していたが、成績は低迷。8月途中からアズドルバル・カブレラにポジションを奪われた。 2009年8月11日にはインディアンスからメジャー契約を解除され、メジャー40人枠から外れた[4] インディアンス退団後[編集] 2010年はサンディエゴ・パドレス、2011年はフィラデルフィア・フィリーズ、2012年はボルチモア・オリオールズに在籍したが、メジャーでの出場は一度もなくマイナーリーグで過ごした。 2013年は、アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスでプレーした。翌年以降の試合出場記録はない。 詳細情報[編集]

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蓬萊 – Wikipedia

蓬萊(ほうらい)とは、古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の一つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。 『山海経』における記述[編集] 中国最古の地理書『山海経』の「海内北経」に、「蓬萊山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と記されている[1]。「市」とは蜃気楼のことで、実際、山東省煙台市の蓬萊区(旧蓬萊県)は、蜃気楼の名所で古来より有名である[2]。 五神山の一山として[編集] 仙人が住むといわれていた五神山の一つ。五神山には蓬萊の他に、「方丈」(ほうじょう)・「瀛洲」(えいしゅう)・「岱輿」(たいよ)・「員嶠」(いんきょう)があり、そのうちの「岱輿」及び「員嶠」は流れて消えてしまったとされている。 東方三神山の一山として[編集] また蓬萊は、方丈・瀛洲とともに東方の三神山の一つであり、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八「淮南衡山列伝」で記されている。 なお、他の二山の、「方丈」とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、「方壷(ほうこ)」とも呼ばれる[3]。 瀛洲はのちに日本を指す名前となった[4]。「東瀛(とうえい)」ともいう。北魏の太和11年(487年)、「瀛州」は、行政区分として制定される。 または台湾を指すとされる。台湾は、「蓬萊仙島」と中国語で呼ばれる自称がある。 日本における蓬萊[編集] 日本では浦島伝説の一つ『丹後国風土記』逸文では「蓬山」と書いて「とこよのくに」と読み、文脈にも神仙などの用語が出てくること、田道間守の話や他の常世国伝承にも不老不死など神仙思想の影響が窺えることから理想郷の伝承として海神宮などと習合したとも思われる。 平安時代に、僧侶の寛輔が、「蓬萊山」とは富士山を指すと述べた[5]。 『竹取物語』にも、「東の海に蓬萊という山あるなり」と記される[6]。求婚者の一人の車持皇子に難題として「蓬萊の玉の枝」を採取して持参することが課せられ、この玉の枝を巡る話が物語の一章をなす。また、富士山と結び付けられて言及されることがあり、謡曲の一つ『富士山』[7]には「然れば本号は不死山なりしを。郡の名に寄せて。富士の山とは申すなり。是蓬萊の。仙境たり」とあり、林羅山は「士峰元是小蓬萊」と詩に詠んだ[8]。 ほか、熊野、熱田などの霊山や仙境を蓬萊と呼ぶ[9]。 ^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、63頁 ^ 同書64頁 ^

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杏耶 – Wikipedia

このページは他の記事から全くリンクされておらず、孤立しています。関係あるページをこのページにリンクしてください。(2017年12月) この記事の出典や参考文献は、一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼っています。信頼できる第三者情報源とされる出典の追加が求められています。出典検索?: “杏耶” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年4月) 杏耶(あや、1989年〈平成元年〉4月16日[1] – )は、日本のイラストレーター。山形県出身[1]。山形県在住[1]。血液型O型。 日本デザイナー芸術学院仙台校卒業[1]後、2011年からイラスト制作を開始し、2013年よりプロのイラストレーターとしてデビュー[1]。 食べることと料理をすることが大好きで、趣味の一環で手軽に作れる様々なレシピを独自に考案、それをイラスト化して「あやぶた食堂」という名目でTwitterに公開したところ反響を呼び、2015年4月書籍化となった。 「あやぶた食堂」では、おかず、おつまみ、デザートなどの様々なジャンルが紹介されており、どれもコンセプトは「簡単にできておいしいもの」。 その中には炊飯器を使ったお手軽レシピもあり、この手軽さが料理の苦手な人や多忙な人達に注目を集め人気を呼んだ。 その他、丼物だけを紹介したレシピ漫画「ド丼パ!」や、身近で起こった出来事をまとめた「バカ死」なども不定期にネットへ公開している。 影響を受けた漫画家はよしながふみ、和月伸宏。 The

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梨のつぶて – Wikipedia

『梨のつぶて』(なしのつぶて)は、丸谷才一が最初に著した評論集。 1966年10月15日、晶文社より刊行された。装丁は平野甲賀。正式のタイトルは「梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集」。 Ⅰ 文明 タイトル 初出 備考 未来の日本語のために 『中央公論』1964年3月号 『日本語のために』(新潮社、1974年8月)に収録された。 津田左右吉に逆らって 書き下ろし 『丸谷才一批評集 第1巻 日本文学史の試み』(文藝春秋、1996年5月)に収録された。 日本文学のなかの世界文学 『展望』1966年1月号 実生活とは何か、実感とは何か 『群像』1966年2月号

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修辞学 – Wikipedia

修辞学(しゅうじがく、希: ρητορική, rhētorikē、羅: rhetorica、英: rhetoric)は、弁論・演説・説得の技術に関する学問分野[1][2]。弁論術、雄弁術、説得術、レートリケー、レトリックともいう。 西洋に古くからある学問分野で、その起源は古代ギリシアにさかのぼる。中世ヨーロッパでは大学の自由七科の一つに数えられた[3]。現代でいうレトリック(修辞技法・文彩)とはやや意味が異なり、基本的には弁論・演説の技術で、聴衆の説得・扇動・魅了を目的とするかなり政治的なもの。そのため修辞学では、聴衆を丸め込む心理操作の技術が大きな位置を占め、さらに演説者の身ぶりや発声法なども重要視された。つまり、修辞学は文彩だけでなく、言語学・政治術・話術・演技論・感情分析・思考法などの総体だった。 古代ギリシア[編集] レートリケー(希: ρητορική)という学問は、紀元前5世紀のポリス社会のギリシアで生まれた。元々はシケリアの法廷弁論において発達した技術であり[4]、創始者はコラクス(英語版)とその弟子のテイシアス(英語版)とされる[5]。当時のギリシアでは、法廷だけでなくアゴラ(広場)やプニュクス(アテナイ民会の政治演説台の丘)など、様々な場面で弁論・演説が行われていた。そのため、レートリケーを生業にするロゴグラポスという職業、あるいは雄弁家という肩書きが存在した。なかでも、イソクラテスら当時のアッティカ地方(アテナイ周辺)で活躍した雄弁家たちは、「アッティカ十大雄弁家」として後世に語り継がれている。そのようななかで、ソフィスト達はレートリケーを教育科目の一つとして世に広めていた。 哲学者プラトンは、そのような当時のレートリケーの流行に反発した。プラトンはその著作群(対話篇)のなかで、ソクラテスにレートリケーの手法ではなくディアレクティケー(問答法・弁証法)の手法で語らせることにより、真理や正義の探求ではなく聴衆の誘導を目的とするレートリケーに対抗した。とくに『ゴルギアス』や『パイドロス』では、レートリケーを主題的に取り上げて批判している。 一方、アリストテレスは師匠のプラトンとは異なり、レートリケーとディアレクティケーを相通じる技術として捉えた。アリストテレスの著書『弁論術』では、先行する諸学説をまとめてレートリケーを体系化した。そのほか、『弁論術』の関連著作に『詩学』『トポス論』『ソフィスト的論駁について』『アレクサンドロス宛の弁論術』などがある。アリストテレスはレートリケーを論理学と似て非なるものと捉えていた(エンテュメーマ)。 古代ローマ[編集] アリストテレスやイソクラテスの影響のもと、古代ローマでも修辞学(羅: rhetorica)は流行した。とりわけ、キケロ『弁論家について』やクィンティリアヌス『弁論家の教育』によって体系化が進められた。 修辞学の五分野が確立したのもこの時代である。五分野とはすなわち、1「発想」(羅: Inventio, 演説テーマに応じた論法の型=トポスの蓄積)、2「配置」(Dispositio, 演説文の構成)、3「修辞」(Elocutio, 演説文の文彩)、4「記憶」(Memoria, 演説文の暗記)、5「発表」(Pronuntiatio,

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マロン酸ジエチル – Wikipedia

マロン酸ジエチル(Diethyl malonate)またはDEMは、マロン酸のジエチルエステルである。ブドウやイチゴに含まれるリンゴ様臭の無色液体で、香水の成分としても用いられる。バルビツール酸、人工香料、ビタミンB1、ビタミンB6等のほか、ファビピラビルの製造にも用いられる。消防法に定める第4類危険物 第3石油類に該当する[1]。 構造と性質[編集] マロン酸は比較的単純なジカルボン酸であり、2つのカルボキシ基が接近している。マロン酸からマロン酸ジエチルを形成する際には、両方のカルボキシ基のヒドロキシ基がエトキシ基に置き換わる。マロン酸部分の中央にあるメチレン基は、2つのカルボニル炭素の隣にある[2]。 カルボニル基の隣の炭素原子上にある水素原子は、アルキル基の隣の炭素原子上にある水素原子の最大30桁も酸性が強い。2つのカルボニル基と隣り合う炭素原子上の水素原子は、間のメチレン基からプロトンが除去されて生じるカルバニオンを安定化させるため、酸性はさらに高まる。 この化合物の共役塩基の共鳴安定化の範囲は、以下の3つの共鳴式で描かれる。 クロロ酢酸のナトリウム塩とシアン化ナトリウムの反応の後、生じたニトリルを塩基加水分解することでマロン酸ナトリウム塩ができる。フィッシャーエステル合成反応により、マロン酸ジエチルとなる。 マロン酸エステル合成[編集] この化合物の主要な用途の1つは、マロン酸エステル合成である。マロン酸ジエチル(1)と適当な塩基の反応で合成されるカルバニオン(2)は、適当な求電子剤でアルキル化することができる。このアルキル化1,3-ジカルボニル化合物(3)は、すぐに脱炭酸して置換酢酸を得る。 塩基としてはナトリウムエトキシドを用いることが望ましい。苛性アルカリや他のアルコキシドを用いると加水分解やエステル交換反応により副生成物を生じてしまう。 その他の反応[編集] 他の多くのエステルと同様、この化合物にもクライゼン縮合反応が起きる。この化合物を用いる利点は、不測の自己縮合反応が起こらない点である。また他のエステルと同様、α位が臭素化する[3]。 日本では唯一、デンカが製造を行っていたが、海外メーカーとの価格競争を受けて2017年4月までに生産を休止した。2020年に2019年新型コロナウイルスの感染が拡大すると、デンカに対して治療薬の原料として国産原料を使用したいとの要請があり、同年5月に再び生産を再開している[4]。 ^ 法規情報 (東京化成工業株式会社) ^ IR spectrum

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クライストチャーチ・アートセンター – Wikipedia

クライストチャーチ・アートセンター(英:The Arts Center of Christchurch)は、ニュージーランド南島クライストチャーチ市に所在する文化施設。 旧カンタベリー・カレッジ校舎(現・カンタベリー大学校舎)として建造されたネオ・ゴシック建築様式の建物。「アートセンター」の呼び名で知られ、クライストチャーチの芸術活動の拠点としてさまざまな催しが開催されている。 1873年にカンタベリー・カレッジ(現・カンタベリー大学)が開校し1876年に現在の敷地へ移転。1877年に建築家ベンジャミン・マウントフォート設計の時計台が完成。その後、多くの建築家が石造校舎建設に携わり1920年代までに現在の建物が完成。 当初は敷地内にクライストチャーチ・ガールズ・ハイスクール、クライストチャーチ・ボーイズハイスクールを併設していたが、その後、2つの高校が移転し大学校舎として1974年まで使用された。 1973年にカンタベリー大学創立100周年記念式典が挙行され、歴史的建造物の保全を目的に大学校舎の移転を決定。1975年に新校舎がアイラム地区に完成したため大学校舎としての役割りを終える。 1978年にクライストチャーチ・アートセンター信託委員会が設立され、以後、同委員会がアートセンターの管理運営を行っている。 施設館内[編集] 美術品、工芸品を取り扱う店舗、土産物店など40店舗以上が入店する。その他、飲食店、カフェテリア、美術館、映画館、劇場などを有し、国内外から集まる芸術家の活動拠点となっている。レジデント・アーティスト制度を採用しており、国内外より美術家を招聘し期間限定の展覧会を開催している。週末にはマーケットも開催され多くの買い物客や観光客で賑わいを見せる(マーケットが開催されるのは週末のみ)。 大学校舎として建造された歴史から現在も建物の名称に旧講義室名を採用している。一部の建物は現在もカンタベリー大学付属施設として大学の研究/演習施設として使用されている。 カンタベリー大学付属施設 ソーファ美術館(SOFA Gallery) – 美術学部付属美術館 テ・プナ・トイ(Te Puna

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張革 – Wikipedia

北朝鮮の政治家 張革 장혁 生年月日 (1966-07-25) 1966年7月25日(55歳) 所属政党 朝鮮労働党 最高人民会議代議員 当選回数 1回 在任期間 2019年3月10日 – 最高指導者 金正恩(2011年 – ) 朝鮮労働党中央委員会委員 在任期間

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