共和政ローマ鳥卜官一覧 – Wikipedia
ジョバンニ・バッティスタ・フォンタナ画、『建国場所を決めるため鳥占いをする双子』(1575年) 共和政ローマ鳥卜官一覧(きょうわせいローマちょうぼくかんいちらん)は主に共和政ローマの判明しているアウグル(鳥卜官)を記載した一覧。古い時代は資料に乏しいため不明な者も多い。 ローマ建国の父ロムルスは、公的な行動をとる前に予兆を読み取るアウグルとして、自身に加えて当時3つあった各トリブスから1名ずつを選出し[1]、更に2代目ヌマ・ポンピリウスがそれに2名増員したとされる[2]。この時点で定員は6名であるが、紀元前300年にオグルニウス法が提出された時、パトリキ4名の定員に対してプレブス5名が追加されており、どうして6名(各トリブスから2名ずつ)であるはずの定員が4名に減ったのかリウィウスも分からないとしている[3]。とにかくこの法によって各トリブスから3名ずつが選ばれることとなり計9名となった。 アウグルの定員が大幅に増員される事となったのはこれよりかなり後のルキウス・コルネリウス・スッラが独裁官の時 (紀元前81年前後)で、15名に増員されている[4]。更にガイウス・ユリウス・カエサルが自身をアウグルに加え16名となった[5]。 共和政期[編集] パトリキ[編集] プブリウス・コルネリウス・レントゥルス・スピンテルを刻んだアウレウス金貨。アウグルの使用するリトゥウス(先の丸まった杖)と壺が刻まれている プレブス[編集] ^ キケロ『国家論』2.9 ^ キケロ『国家論』2.14 ^ リウィウス『ローマ建国史』10.6 ^ リウィウス,ペリオカエ,89 ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』42.51.4 ^
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