Month: December 2019

チ。-地球の運動について- – Wikipedia

『チ。-地球の運動について-』(チ。-ちきゅうのうんどうについて-)は、魚豊による日本の青年漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、2020年42・43合併号から連載中[1]。 「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品[2]。 2021年1月8日時点で、単行本の累計発行部数は180万部を突破している[3]。 制作背景[編集] 著者の魚豊は前作『ひゃくえむ。』で青春のクラブ活動を描いたため、次は人が死亡するようなサスペンス劇に挑戦したくなったという。魚豊は次のように語っている[2]。 中世のヨーロッパって、自然科学の知性と、暴力的なフィジカルが渾然一体と結びついています。そのアンバランスさが、現代から見たら面白く映るのではと。 天動説から地動説へ移行する、知の感覚が大きく変わる瞬間がいいんですよね。哲学と結びついて、「コペルニクス的転回」や「パラダイムシフト」って言葉が生まれるくらいの衝撃を与えました。その瞬間が面白くて、漫画にしようと決意しました。 ただし、現代の日本では「中世ヨーロッパでは、地動説を唱える者への激しい迫害・弾圧があった」と信じられていることが多いが、実際の歴史ではそのような記録は残されていない[2]。 魚豊は「この勘違いも面白く感じて、テーマにしたい! と思った」と語っており、本作で描かれる「地動説への苛烈な迫害」は虚構のものである[2]。 しかし、近代化によって宗教の絶対性が揺らいでいったことは事実であった。そういった時代の変わり目に、人々の価値観が変わっていく様子を描いた[2]。 『チ。』という題名の意味は、大地(だいち)のチ、血(ち)のチ、知識(ちしき)のチの3つからなる[2]。 また『。』(句点)をつけた意図は、魚豊の好みでもあるが(前作『ひゃくえむ。』でもつけた)、主眼は「句点は文章の終わり、停止を意味する」ことにある。魚豊は次のように述べている[2]。 大地が停止している状態を「。」で示していて、そこに地動の線(チ)がヒュッと入ることで、止まっていたものが動く状態になる。「地球は動くのか、動かないのか」を「。」で表現しています。 さらに、『チ。』という一文字と句点のみの題名にすることで、インターネットで検索をしづらくする狙いもある。魚豊がインターネットで作品名を検索(エゴサーチ)して他者の意見から影響されることを防ぎ、さらには読者が他者による感想に触れずに自分だけの意見を持つことを志向した[2]。 あらすじ[編集] 15世紀前半のヨーロッパの『P王国』では、『C教』という宗教が中心となっていた。地動説は、その教義に反く考え方であり、研究するだけでも拷問を受けたり、火あぶりに処せられたりしていた[4]。その時代を生きる主人公・ラファウは、12歳で大学に入学し、神学を専攻する予定の神童であった[5]。しかし、ある日、地動説を研究していたフベルトに出会ったことで地動説の美しさに魅入られ、命を賭けた地動説の研究が始まる。 登場人物[編集] 第1章[編集] ラファウ

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月の光 〜沈める鐘の殺人〜 – Wikipedia

『赤川次郎 月の光 ~沈める鐘の殺人~』(あかがわじろう つきのひかり しずめるかねのさつじん)は、2002年5月23日にビクターインタラクティブソフトウエア(現マーベラスインタラクティブ)からPlayStation 2用ゲームソフトとして発売されたサウンドノベル形式のアドベンチャーゲームである。 原作は赤川次郎の小説『沈める鐘の殺人』ではあるが、一部のストーリーや設定を除き、シナリオはほぼ完全にオリジナルとなっている。オープニングテーマには酒井彩名がピアノ演奏したクロード・ドビュッシーの『月の光』が使われている[1]。2003年6月26日及び2005年3月24日には廉価版が発売された。 2008年11月6日にはニンテンドーDS用ソフトとして発売された。 ストーリー[編集] 紅葉に囲まれた道をバスが走る。その中には教師である主人公(あなた)の姿があった。失恋により勤めていた学校を辞めた主人公は新たな仕事として山奥の寄宿制の女子高「鐘園学院」への就職を決めていた。バスを降り紅葉坂と呼ばれる場所を通り学園へと辿り着いた主人公。辺りを散策していた主人公は悲鳴を聞き、池で溺れている女性を発見する。池に飛び込み女性を助け出した主人公は彼女に事情を聞こうとするが、その時何処からか悲しげな音が響き渡ってきた…。 登場人物[編集] 主要人物[編集] 主人公(小牧忠男/迎三千代)※ 鐘園学院の世界史教諭。失恋のショックから以前勤めていた学校を辞め、鐘園学院に赴任することになる。赴任して来た日に、池で溺れていた学院の生徒・爽香を救助。以降は爽香と親しくなり、と同時に学院をめぐる様々な事件に遭遇する。年齢は24歳。 パートナー(古谷公子/古谷公司)※ 主人公の性別に対し必ず異性となるように決定される。鐘園学院の国語教諭。明るい性格で生徒たちからの評判も上々。主人公と同僚ということで、何かと主人公のことを気にかけ、時には主人公をサポートする。第3話で、多くの事業を展開する「古谷グループ」の令嬢(御曹司)であることが判明する。年齢は24歳。 元恋人(迎三千代/小牧忠男)※ 主人公の元恋人。主人公よりも前に付き合っていた恋人とのトラブルが原因で、主人公と別れることとなった。主人公のことを諦めきれず、鐘園学院に現れ復縁を求めるが……。 中沢爽香(なかざわ さやか)

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風信帖 – Wikipedia

風信帖(ふうしんじょう)は、空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称である。国宝に指定されており、指定名称は弘法大師筆尺牘三通(風信帖)(こうぼうだいしひつ せきとく さんつう)。 『風信帖』は、『灌頂歴名』と並び称せられる空海の書の最高傑作であり[1]、『風信帖』(1通目)、『忽披帖』(2通目)、『忽恵帖』(3通目)の3通を1巻にまとめたもので、その1通目の書き出しの句に因んでこの名がある。大きさは、28.8cm×157.9cm。東寺蔵。 もとは5通あったが、1通は盗まれ、1通は関白豊臣秀次の所望により、天正20年(1592年)4月9日に献上したことが巻末の奥書に記されている[2]。 『風信帖』のスケールの大きさは日本の名筆中第一といえよう[3]。また、日本天台宗の開祖伝教大師最澄と真言宗の開祖弘法大師空海という平安仏教界の双璧をなす両雄の交流を示す資料としてもこの3通の存在は貴重である[1]。 3通とも日付はあるが年紀はなく、弘仁元年(810年)から3年(812年)まで諸説ある。1通目の宛名は「東嶺[注釈 1]金蘭[注釈 2]」、3通目は「止観[注釈 3]座主」とあり、ともに空海が最澄の消息に答えた書状であることがわかる。2通目には宛名がなく、最澄、もしくは藤原冬嗣の両説ある。 2通目の『忽披帖』は紙がやや異なるが他の2通は同じで、書体は3通とも行草体である。しかし、幾分筆致を異にし、ことに2通目は行書、3通目は草書が多い[3]。2通目の文中に「因還信[注釈 4]」、3通目に「因還人」とある所からみて、それぞれ率意の書であるとも思われる[5]。 風信帖の評価 鈴木翠軒は『風信帖』について次のように記している[5]。 古来、『風信帖』は空海の書として最上位に推され、代表作といわれているが、『灌頂記』の方が実際は上位であろう。3通のうち最初の1通は、さすがの空海も偉大なる先輩最澄に宛てただけに、かたくなったためか、空海のものとしてはやや萎縮している。(中略)第2通目は異色の風があって第1通より上位にあると思う。第3通目の草書風のものは最も傑出している。空海は行草の名人であるが、この最後のところの草書はそのうちでの尤なるものであろう。 風信帖(1通目)[編集] 1通目の狭義の『風信帖』である。書風は王羲之の書法に則した謹厳なもので[1]、それは「風」や「恵」その他が『蘭亭序』と酷似していることでも立証できる[6]。特に「恵」の最後の点を右側に大きく離し、収筆を上方にはね上げる運筆は王羲之の書法の特徴の一つで、この収筆のはね上げにより、運筆のスピード感と切れ味を字形全体の印象として感じさせる効果をもたらす。王羲之書法に傾倒する人の筆跡にはこの運筆が見られ、米芾の『蜀素帖』の中の「穂」や「盡」にも認められる[7]。 風信雲書自天翔臨披之閲之如掲雲霧兼恵止觀[注釈 5]妙門頂戴供養不知攸厝已冷伏惟法體何如空海推常擬隨命躋攀彼嶺限以少願不能東西今思与我金蘭[注釈 2]及室山[注釈

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北オホーツク道立自然公園 – Wikipedia

北オホーツク道立自然公園North Okhotsk Prefectural Natural Park クッチャロ湖(2017年10月) 分類 自然公園 所在地 日本 北海道宗谷郡猿払村、枝幸郡浜頓別町、枝幸郡枝幸町 座標 北緯45度08分50.0秒 東経142度22分10.6秒 / 北緯45.147222度 東経142.369611度 / 45.147222; 142.369611座標:

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寺井啓之 – Wikipedia

寺井 啓之(てらい ひろゆき、1912年(明治45年)3月31日 – 1997年(平成9年)4月10日)は、森田流笛方能楽師。寺井久八郎家12代。 目次 1 来歴・人物 2 受賞ほか 3 脚注 4 外部リンク 来歴・人物[編集] 1912年(明治45年)東京生まれ。永田町小学校[1]、東京音楽学校 (旧制)能楽科卒業。1928年(昭和3年)より寺井鉦次郎に師事し、同年「熊坂」で初舞台を踏む。1967年(昭和42年)より日本能楽会会員。重要無形文化財「能楽」保持者(日本能楽会会員としての総合認定)。 長男は十世・寺井久八郎(森田流笛方)で、二男は寺井良雄(宝生流シテ方。2010年死去)、三男は寺井栄(観世流シテ方)で、ともに重要無形文化財「能楽」の保持者(総合認定)[2]。孫に寺井千景(観世流シテ方)がいる[3]。 受賞ほか[編集] 勲五等双光旭日章(1989年)

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局所上昇法 – Wikipedia

局所上昇法(きょくしょじょうしょうほう、英語: Local Elevation)は、計算化学や計算物理学において主に分子シミュレーション(分子動力学法 (MD) およびモンテカルロ法 (MC) など)に用いられる手法である。1994年に分子動力学法において配座空間上における探索を加速するために Huber, Torda, van Gunsteren により開発され[1]、分子動力学シミュレーション用ソフトウェアGROMOS96以降で利用可能である。この手法は、配座フラッディング法[2]と共に、分子シミュレーションに履歴依存性を導入した初めての例である。Engkvist–Karlström法[3]、適応バイアス力法[4]、ワン・ランダウ法、メタダイナミクス法、適応バイアス分子動力学法[5]、適応反応座標力法[6]、局所上昇アンブレラサンプリング法[7]などの多くの新規手法が同様の原理に基いて開発された。この手法の基礎原理は、シミュレーション中に履歴に依存するポテンシャルエネルギー項を導入し、既にサンプリング済みの配座の再実現を阻害することで新しい配座の発見確率を上げるというものである。この手法はタブーサーチ法の連続版と見做すことができる。 アルゴリズム[編集] 基礎ステップ[編集] このアルゴリズムの基礎となるステップは、現在の分子配座を不利にするような小さな斥力的ポテンシャルエネルギーを加え、別の配座が見付かる確率を上げるというものである。このためには、関心のある配座変化を記述できる部分自由度 Q(r) を選ぶ必要がある。通常は配座に関連する二面角とするが、原理的にはデカルト座標 r の微分可能関数であればどんなものでも構わない。 このアルゴリズムでは、実際のポテンシャルエネルギーにバイアスエネルギーを印加し、以下のように変形させる。

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リンツ中央駅 – Wikipedia

リンツ中央駅 (ドイツ語:Linz Hauptbahnhof)[1] はオーストリア、リンツ市にある鉄道駅である[2]。 1858年に開業したこの駅は、リンツ市の中心的な交通基幹である。オーストリア西部鉄道の一部を形成し、ピュールン線、ズンメラウ線、リンツ地方線 (LILO) の終着駅でもある。当駅はオーストリア連邦鉄道 (ÖBB) が所有していて、鉄道サービスはオーストリア連邦鉄道とリンツ地方線が運営している。1日約3万人以上の乗客が利用しており、オーストリア有数の混雑する駅である。 リンツ中央駅は、市中心部の南端近くにあるBahnhofplatzに位置している。 初期のリンツ中央駅駅舎 初期のリンツ中央駅駅舎は、皇后エリーザベト鉄道帝室特認会社のオーストリア西部鉄道がウィーンからリンツへ接続されるのに合わせて、1858年に完成された。 1936年にナチスによってリンツ中央駅改修が実施された。鉄筋コンクリートの骨組みと高い天井、細長い窓が特徴の厳格なモダニズム様式へと変貌する(ヒトラーの生家に最も近い都市がリンツであった)[3]。しかし、この駅が再建されるまでに、リンツは完全な都市改造が行われる5つの総統都市の一つに指定される。 改修計画の駅跡は総統博物館の敷地に指定され、新しい大通りの反対側の端に駅が4キロ南に移動することになった[4][5]。しかし、これらの改築計画は実現せず、第二次世界大戦中の連合軍の爆撃によって再建された駅舎が損壊したため、当時の地味な造りのまま1949年 (昭和34年) から1955年 (昭和30年) にかけて再び再建された[3]。 しかし20世紀末には、公共交通機関の利用者増加に伴い根本的な再改修が求められた。2002年から2004年にかけて駅舎が全面的に改築され、ウィルヘルム・ホルツバウアー氏設計の新駅舎となった。この再改築により、複合施設の一部として超高層ビルであるターミナルタワー(ドイツ語版)も建設された[3]。 現在の駅舎は3階建ての構造となっている。正面口はタクシー乗り場隣の地上階にあり、駅バスターミナルへのアクセスも可能である。

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三ツ矢憲生 – Wikipedia

日本の政治家 三ッ矢 憲生 みつや のりお 2014年2月7日、東京都にて 生年月日 (1950-12-13) 1950年12月13日(71歳) 出生地 日本 三重県伊勢市 出身校 東京大学教養学部教養学科コロンビア大学大学院 前職 国家公務員(国土交通省) 所属政党 自由民主党(岸田派) 称号 修士

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ジャパネーズ – Wikipedia

ジャパネーズ[注釈 1]は、トゥインクル・コーポレーションに所属する日本のお笑いコンビである。2014年2月まで「黒子タクシー」のコンビ名で活動した。フリー活動期間は2014年2月 – 2018年7月31日。 メンバー[編集] ウネモトモネ( (1986-09-30) 1986年9月30日(35歳) – ) アチャ・マサノブ( (1985-10-17) 1985年10月17日(36歳) – ) 本名は孝橋 正宣(こうはし まさのぶ)。兵庫県たつの市出身。身長163㎝。O型。兵庫県立龍野実業高等学校商業科卒。 芸名の由来は「アチャマー」と叫ぶ自身の持ちギャグから。 DIR

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