エリザベス・ウォーレン – Wikipedia
エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren、1949年6月22日 – )は、アメリカ合衆国の学者及び政治家[1]。民主党所属、マサチューセッツ州選出上院議員である。 かつてはテキサス大学法学部、ペンシルベニア大学法学部、ハーバード・ロー・スクールで教鞭を執っていた連邦倒産法を専門とする著名な学者であり、商法の分野で特に有名であった[2]。 積極的な消費者保護論者であり、消費者金融保護局(英語版)の設立に貢献した。多数の学術的書籍を著し、アメリカ経済や個々の財政に関するメディアのインタビューで度々取り上げている。2008年の金融危機の際には、不良資産救済プログラム(TARP)(英語版)の監督を目的として創設された不良資産救済プログラムに関する議会監督委員会メンバー(英語版)の議長を務めた。バラク・オバマ大統領のもと、大統領補佐官及び消費者金融保護局のアメリカ合衆国財務長官顧問となった。2000年代後半、『ナショナル・ロー・ジャーナル』誌や、タイム100に取り上げられるなど、その認知度を広げていった。 民主党のリーダー的存在として、プログレッシブ層からの支持が厚い[3][4]。アメリカ合衆国大統領選挙への立候補について度々否定していたが[5][6][7]、2016年アメリカ合衆国大統領選挙において複数の政治評論家から有力候補として度々言及されていた。その後、2020年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬することを表明したが[8][9]、2020年3月5日に撤退した[10]。 生い立ち・教育・家族[編集] 1949年6月22日にオクラホマ州オクラホマシティの中流階級の家庭で父のドナルド・ジョンズ・ヘリング、母のポーリーン(旧姓リード)のもとにエリザベス・アン・ヘリングとして誕生した[11][12]。ウォーレンは家庭について「中流階級の底辺」、「中流階級にようやく手が届いた程度」と語っている[13][14]。3人の兄がいる末っ子であった[15]。12歳の頃、小売のモンゴメリー・ウォードの管理人であった父は[14]、心筋梗塞で倒れて働けなくなり、収入が無くなると共に医療費がかさんだ[16]。ローンが払えなくなり車を失った。家計のため、母はシアーズのカタログ部門の職を見つけた[17]。13歳の頃、叔母が経営するレストランでウエイトレスとして働き始めた[15][18]。 ノースウエスト・クラスン高等学校にてディベート・チームの主要メンバーとなり、州内の高校生のディベート・チームによるコンクールにおいて優勝した。16歳の頃、ジョージ・ワシントン大学のディベート奨学金を勝ち取った[16]。当初教師を目指していたが、大学入学から2年後、高校時代から交際していたジム・ウォーレンと結婚のため退学した[15][19][20]。 NASAのエンジニアであった夫に伴い、テキサス州ヒューストンに転居した[19]。ヒューストン大学に進学し、1970年、言語聴覚学で理学士を取得した[21][22][23]。教員免許を取得していなかったが臨時免許を取得して1年間公立学校にて障碍のある子供たちに教育を施していた[24][25][26]。 夫の仕事の都合でニュージャージー州に転居し、妊娠したウォーレンは専業主婦となる決意をした[27]。娘が2歳になると、ウォーレンはラトガース大学法学部に進学した[27]。夏季、法律事務所カドウォラダー・ウィッカーシャム&タフトでインターンとして働いた。1976年の卒業直前、第二子を妊娠した。法務博士に認定され、司法試験に合格し、自宅で弁護士の業務を開始し、遺言状の作成や不動産に関する手続きなどを行なっていた[20][27]。 第二子出産後、1978年、離婚した[16][28]。現在、孫がいる[29]。1980年、法学教授のブルース・マンと再婚したが、ウォーレンの姓を残した[28][30]。 政党[編集] 長年、共和党に投票しており、「市場を最も支援してくれる政党だと思っていた」と語った[19]。しかしそれが真実でないと悟り、1995年から民主党に投票し始めたが、二大政党制のどちらにも優劣はつけられないとしてその時によって投票する政党を変えていると語った[31]。 祖先をめぐる論争[編集] 2012年4月、『ボストン・ヘラルド』紙は1986年から1995年にウォーレンがアメリカ法律学校協会(AALS)の名簿に少数民族として掲載されていたことを報じて批判キャンペーンを行なった[32]。ハーバード・ロー・スクールは多様性の欠如に繋がるとして批判したが、ウォーレン自身記事を読むまでこのことを知らなかった[32][33][34]。上院議員選の対立候補であった共和党スコット・ブラウンはウォーレンがネイティヴ・アメリカンの血筋であると偽装して職を得ようとしたのではないかと推測した[35][36][37]。大学での元同僚や上司たちは、ウォーレンの雇用に血筋は考慮されなかったと語った[33][34][37][38]。この記事に対し、ウォーレンは似た血筋の人々と会いやすくするためのものだったと語った[39]。ウォーレンの兄たちは「母、祖母、親戚たちからチェロキー族やデラウェア族の血筋も引いているという話を聞いて育った」としてウォーレンを支持した[40]。2014年のウォーレンの自伝によると、記事は事実でなく心を痛めた[41]。ニューイングランド歴史的系図協会は、婚姻証明書にはウォーレンの曾祖母の祖母がチェロキー族であると言及されているが、それ以上具体的な証明はないとした[37][42][43]。オクラホマ歴史協会は、異民族間の婚姻や事実に反する意図的な登録・未登録が原因となり、ネイティヴ・アメリカンの血筋であることを証明することは困難な場合があると語っている[44]。 2017年から2018年にかけて、ドナルド・トランプ大統領は、エリザベス・ウォーレンをアメリカの先住民であるポカホンタスに喩えて取り上げたほか、2018年7月にモンタナ州で行われた集会では、「あなたが検査を受け、自分がインディアンだと判明したら、希望の慈善団体にトランプの名前で100万ドルを寄付する」と挑発した。 これに応えるように同年10月、エリザベス・ウォーレンは祖先に先住民族がいたとするDNA鑑定結果を示したが、「6-10世代前」というレベルのものであり、自ら少数民族や先住民族であると主張するにはいささか説得力にかけるものであった。なお、これを受けてトランプ大統領が寄付を行うことも無かった[45][46]。 DNA検査の結果は、平均的白人が微量に持つインディアン系のDNAよりも少ない量しか、彼女は持っていなかった。彼女にはインディアンの血は流れていなかった。チェロキー族は強い不快感を示し、仲間とは認めていない[47]。
Continue reading
Recent Comments