Month: March 2020

山下真 – Wikipedia

山下 真(やました まこと、1968年6月30日 ‐ )は、日本の政治家、弁護士。元奈良県生駒市長(2期)。 山梨県牧丘町(現山梨市)生まれ。駿台甲府高等学校、東京大学文学部フランス語フランス文学科卒業。1992年、朝日新聞社に入社するが、同年12月に退社。塾講師のアルバイトをしながら、翌々年の1994年に京都大学法学部3年次に編入した。1997年、司法試験に合格。1998年、京都大学法学部卒業。司法修習生を経て2000年、大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内の弁護士事務所に勤務、その後「まこと法律事務所」を開設した(生駒市長就任後に閉鎖)。当時、法律事務所が入っていたビルには橋下徹の事務所もあり、生駒市長選挙に立候補した際は橋下に挨拶をしている。 2005年、奈良県生駒市で市民団体「さわやか生駒」の設立に携わり、代表世話人に就任する[1]。2006年1月22日、生駒市長選挙に政党の推薦や支持を受けず、自身が設立に携わったさわやか生駒の支援を受けて無所属で立候補。対立候補は自由民主党・公明党・社会民主党・新党日本4党が推薦する、4選を目指す現職の中本幸一で、奈良2区選出の自民党の高市早苗衆議院議員や、奈良2区で高市に敗れ比例復活した新党日本の滝実衆議院議員らが支援した他、奈良県知事の柿本善也も応援に駆けつけた。民主党は多選禁止の原則や、当時の民主党代表、小沢一郎が打ち出した相乗り禁止の方針に基づき自主投票を決定していたが、奈良県が地盤の前田武志参議院議員は中本を支援(一方で生駒市出身で前衆議院議員の中村哲治は、公の支援を見送った)。日本共産党は前回の選挙では独自候補を擁立したが、今回は候補の擁立を見送った。一方の山下陣営は圧倒的に不利な状況であり、圧倒的な支援を受けた中本に対して山下のボランティアは20数名だけであったが、中本の約1万4000票に対して山下は約2万8000票の大差をつけ、初当選した[2][3]。投票率は45.64%。 2010年1月24日、生駒市長選挙で元市議ら2人の対立候補を破り再選。投票率は前回を上回る53.15%だった。2014年1月26日、生駒市長選挙では2人の対立候補を大差で退けて圧勝したが、投票率は前回・前々回を大きく下回る38.87%に留まった[3]。 2015年1月5日、記者会見を開いて「4月12日投開票予定の2015年奈良県知事選挙に出馬する」意思を表明した[4]。同年2月26日、生駒市長を辞職し[5]、立候補するも約5万5000票差で荒井正吾に敗北。 2015年6月より塩野・山下法律事務所で弁護士業を再開。 2016年9月16日、市民団体「見張り番・生駒」の代理人として、荒井正吾奈良県知事が委員長を務める第32回国民文化祭奈良県実行委員会が同文化祭のロゴマークのデザイン料として「くまモン」のデザイン会社に支払った委託料が違法な公金支出だとして、奈良県が荒井知事及び同社に対し510万円を請求することを求める住民訴訟を提起。 2017年7月9日、現職の任期満了に伴う奈良市長選に無所属で立候補したが僅差で敗れ、同じく無所属で立候補した現職市長仲川げんが3選を果たした。しかし「中川」と記した疑問票を有効したことなどにつきの異議申し立てをした[6]。9月に奈良市選挙管理委員会により、棄却されたため、不服を申し立てていたが、2018年2月26日付で奈良県選挙管理委員会により審査申し立て棄却の裁決がなされた[7]。3月30日、奈良県選挙管理委員会を大阪高等裁判所に提訴したが[8]、「認められない」として棄却された[9]。 生駒市長として[編集] 2006年2月3日に生駒市役所に初登庁するが、日本共産党以外の全会派が圧倒的多数を占めるオール野党の生駒市議会で苦戦を強いられる。初登庁時に市議会議長の酒井隆に就任の挨拶に赴き、市政運営への協力を求めたが、山梨県出身の山下に対して「市長がなんぼいちびっても、議会がついていかにゃ何もできん」と関西弁で応じ、会談の終わりに握手を求めた山下に対し「あんた共産党か?」と尋ね、山下が「違います」と返答すると、「違うのなら握手したる」[10] と応じた。このやり取りが関西ローカルの番組で大々的に報道され、酒井は釈明に追われた。その後、生駒市議会では山下市長が提案した議案は次々に否決、または審議が進まず、2006年度予算も市議会で否決されたため暫定予算が執行され、2ヶ月後に一般予算が可決された[11]。 2007年4月に行われた統一地方選挙の生駒市議会議員選挙の直後、市議会議長の酒井隆、前市長の中本幸一が、生駒市が発注した足湯の公共事業に関する収賄及び背任の容疑で逮捕された。生駒市議選では山下の支持団体である「さわやか生駒」が擁立した候補2人が当選し、オール野党の情勢は緩和したものの、議会の反市長の風潮は残り、山下が提案した副市長人事案が否決され、2011年8月まで副市長は不在であった[12]。 2014年1月の生駒市長選挙では、市が建設中の市立病院の指定管理者を医療法人徳洲会にする従来の方針を掲げる山下に対し、それを批判する2人の対立候補が挑んだが、山下が大差で3選を果たした[13]。 生駒市長に当選後、生駒市から奈良市へ転居した。子育てを転居の理由に挙げたものの、生駒市議会では批判を受けた[14]。2010年、生駒市長再選を機に家族を奈良市に残したまま単身で生駒市に転居し、以後は単身赴任を続ける。山下は「他市に住んでいても市長の職務を執行するのに支障はないし、しがらみが出来にくい点などで利点もあるとは思っています」と述べている[15]。 外部リンク[編集]

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国際刑事裁判所に関するローマ規程 – Wikipedia

国際刑事裁判所に関するローマ規程(こくさいけいじさいばんしょにかんするローマきてい、The Rome Statute of the International Criminal Court)は、国際刑事裁判所 (ICC) の構成、管轄犯罪、手続などを規定する国際条約である。 通称はローマ規程 (The Rome Statute) または国際刑事裁判所ローマ規程という。ICC条約 (ICC Treaty)、ICC規程 (ICC Statute) とも呼ばれる。

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ヨハン・ファウスト – Wikipedia

ファウストの肖像画(17世紀) ヨハン・ゲオルク・ファウスト(独: Johann Georg Faust、羅: Johannes Faustus、1480年? – 1540年?)とは、15世紀から16世紀のドイツに実在したとされる占星術師、錬金術師。ファウスト博士(独: Doktor Faustus)の名でも呼ばれる。 民衆本『実伝ファウスト博士(独: Historia von D. Johann Fausten)』や人形劇などで伝説が人口に膾炙し、後世これに取材した様々な創作が作られた。その中でも特にゲーテの戯曲『ファウスト』が著名。 姓のファウストは、ラテン語の「faustus(幸福な、祝福されたの意)」に由来する。 史実のファウスト[編集] 実在性も含めて、その生涯には多分に不明な部分が含まれており、ヴュルテンベルクのクニットリンゲンまたはハイデルベルクで1466年もしくは1480年に生まれたとされる。1509年1月15日、ハイデルベルク大学で神学博士号の16人の授与者1人に含まれているという記録があるが、別人説もある。生前は各地を放浪し、マルティン・ルターからは悪魔の力を借りていると非難されたという。1538年には、フォン・シュタオフェン男爵に雇われている。最期は錬金術の実験中に爆死したとされ、五体はばらばらとなったという。このことが後世に伝説の根拠となった。

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ソフィア・グロスマン – Wikipedia

ソフィア・グロスマン (Sophia Grojsman、1945年3月8日 – ) は世界的な調香師で米国 International Flavors and Fragrances (IFF) 社の副社長[1]。イヴ・サン=ローランの「パリ」、カルバン・クラインのエタニティ、またダウニーの「エイプリルフレッシュ」に至るまで、多くの香りを調合してきた。 生い立ち[編集] 1945年、旧ソビエト連邦のベラルーシで生まれ、野生の花や緑の森に囲まれて育ったという。「子供の頃から、味と匂いが大好きでした。おもちゃはありませんでしたが、花に魅了されました」[2]。家族は彼女が15歳のときにポーランドに移り、そこで分析無機化学の理学士号を取得。1965年、ナチスドイツ時代にソフィアの父が救ったというユダヤの家族の招きで米国に移住した[3]。International Flavors and Fragrances 社で、当時の世界の偉大な調香師の1人であるアーネスト・シファンに師事する。1996年、米国香水学会から Living Legend

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福島県道40号飯野三春石川線 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “福島県道40号飯野三春石川線” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2018年7月) 福島県道40号飯野三春石川線(ふくしまけんどう40ごう いいのみはるいしかわせん)は、福島県福島市から福島県石川郡石川町に至る県道(主要地方道)である。 路線延長別では、総延長約80 kmおよび実延長約75 kmあり、県内最長の県道である。国道4号と国道349号に挟まれた地区を貫く幹線道路であり整備が行われているが、一部車両のすれ違いが困難な狭隘区間も点在している。 路線データ[編集] 1971年6月26日 – 建設省告示第1069号が公布され、福島県道栃本三春線が主要地方道三春栃本線として指定される。 1976年4月1日 –

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国鉄3170形蒸気機関車 – Wikipedia

日本鉄道 825(後の鉄道院 3170) 3170形は、かつて日本国有鉄道およびその前身である鉄道院・鉄道省に在籍したタンク式蒸気機関車である。 元は、日本鉄道が1903年(明治36年)にドイツのハノーファー機械製作所から6両(製造番号3046 – 3051)を輸入した、車軸配置2-6-2(1C1)、単式2気筒の飽和式タンク機関車で、H3/5形(825 – 830)と称された。 この機関車は、他の鉄道でドイツ製機関車が良好な成績を収めていたことから、日本鉄道でもドイツ製機関車導入の機運が高まり、ヘンシェル社製で複式2気筒のHS3/5形(後の鉄道院3240形)とともに製造されたものである。しかし、全てをドイツ製に置き換えるのには抵抗があり、同年発注された32両のうち24両は、イギリスのベイヤー・ピーコック社に発注された(後の鉄道院3200形)。また、発注の際に当初は一般競争入札で行ったものを取消し、仕様を共通にして再度指名競争入札で入札施行したため、その経緯の不透明さが当時のジャーナリズムを賑わすというエピソードもあった。 形態的には官設鉄道のB6クラスに先輪を追加し、火格子面積を拡大したもので、火室はベルペヤ式であった。先台車はビッセル式である。また、弁装置には当時最先端であったワルシャート式を採用している。導入当時、日本最大のタンク機関車であった。 国有化後の1909年(明治42年)に制定された鉄道院の車両称号規程では、3170形(3170 – 3175)に改番された。 当初は、宇都宮、小山、田端、福島、盛岡に分散配置されたが、国有化後は小山、宇都宮に集まり、一部は大宮工場(一部は岡本支工場)の入換用とされた。廃車は、3171, 3172が1949年(昭和24年)、3173, 3175が1950年(昭和25年)、3170, 3174が1951年(昭和26年)であった。このうち3170は高崎板紙に譲渡されたが、使用されることなく廃棄された。 主要諸元[編集] 全長:11,655mm

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自動列車制御装置 – Wikipedia

自動列車制御装置(じどうれっしゃせいぎょそうち、ATC : Automatic Train Control)とは、鉄道における信号保安装置の一種である。 自動列車制御装置とは、制限速度を運転士に現時で表示しながら一定の速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムであり、発進から加速して停止するまでを自動化した自動列車運転装置(ATO)とはシステムが異なる[1]。ただし、鉄道の自動運転では自動列車運転装置(ATO)と組み合わせた一体化したシステムになっている場合もある[2]。また、新交通システムでは信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステムの総称を指すこともある[3]。 保安装置としての自動列車制御装置[編集] 自動列車制御装置(ATC)は他の列車との衝突や速度の超過を防ぐための保安装置として設置される[2]。ATCは最高速度を運転士に現時しながら一定の制限速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムである[1]。 運転安全規範には「先行列車との間隔及び進路の条件に応じて、車内に列車の許容運転速度を示す信号を現示し、その信号の現示に従って、列車の速度を自動作用により低下する機能を持った装置をいう」と定義されている。 開発の経緯[編集] ATC受電器(首都圏新都市鉄道TX-1000系) 地上信号機による信号確認が困難であり、見落としの可能性がある新幹線などの高速鉄道、地下鉄、長大トンネル線区、普通鉄道での稠密線区などで使用されている信号システムである。 ATCの基本的なシステムは、以下の通り。 各軌道回路(閉塞区間)[注釈 1]

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蓮見翔 – Wikipedia

蓮見(はすみ)翔(しょう) 生年月日 (1997-04-08) 1997年4月8日(24歳) 出身地 東京都 言語 日本語 相方 園田祥太,飯原僚也,上原佑太,道上珠妃,中島百依子,忽那文香,吉原怜那 事務所 株式会社YOU GO sign 活動時期 2017年 – テンプレートを表示 蓮見 翔(はすみ

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自撮りガール! – Wikipedia

『自撮りガール!』(じどりガール!)は、久遠まことによる日本の漫画作品。『月刊!スピリッツ』(小学館)にて2014年2月号から2016年2月号まで連載。単行本は全3巻。 俗に言う「自撮り」を題材にした撮影漫画。高校卒業まで真面目な優等生だった少女が、大学入学を前後してストレス発散をするかのように自分の下着姿や裸をスマホで撮影してネット上のコミュニケーションサイトにアップロードする、いわゆる「ネット露出」をして快感を得るというスリルを味わう日常を描いていく物語。 単行本1巻発売時の宣伝帯にて、グラビアアイドルなどで活躍している倉持由香が絶賛コメントを寄せている。 あらすじ[編集] 主人公・音無凛は、高校卒業まで運動も勉強も出来る優等生だったが、大学入学を前後して自撮りにはまり、表向きには真面目で清楚な優等生を演じ、裏では自分の下着姿や裸を撮影して顔隠しや修正をいれた上でコミュニケーションサイトにて投稿し、複数のフォローアワーを得て快感を得ると同時にスリルを味わう日々を送っていく。 登場人物[編集] 音無凛(おとなし りん)/ RINNE(リンネ) 本作の主人公。18歳。葵大学1年生・サークル映像研究部部員。身長147センチ[1]。12月26日生まれ[2]。黒髪をツーサイドアップにした小柄な女子大生。その名の通り、見た目は「大人しく凛とした」印象を与え、高校卒業まで運動も勉強も出来る優等生だったが、大学入学を前後して「自撮り」にハマり、自身の下着姿や全裸の写真に修正を加えた上でコミュニケーションサイトに「RINNE」のHNを用いてアップロードしてストレスを発散するかのごとくスリルと快感を味わう日常を送っている。これは、自身の小柄で貧乳な体型にコンプレックスを抱いている[3]ことからきており、自分の身体に自信がないゆえに「誰かに認めてもらいたい」という思いや、投稿した写真が支持されることが、自撮りにハマる動機となっている。また自身の素性が知られないように2台のスマホを持っており、普段はアイフォンを使用、「RINNE」として活動するときは黒のスマホを使用しており、フォローアワーが一万人を超えたら、「目立ち過ぎると破滅に繋がる」という考えから、リセットする意味で削除して新アカウントを作ることを繰り返している。後に茜に誘われ映像研究部に入部する。一人暮らしをしており、全裸でいることがしばしばある。 宮崎茜(みやざき あかね) 葵大学1年生・サークル映像研究部部員。凛の親友で、ショートヘアの女子大生。しばしば凛の寝顔を撮ることが多い。 美坂悠(みさか ゆう) 葵大学1年生・サークル映像研究部部員。 神宮寺猛(じんぐうじ たける) 葵大学2年生・サークル映像研究部副部長。眼鏡をかけた長髪の男。一人称は「ワガハイ」で、「でアリマス」が口癖。動画撮影に対する熱意は本物であり、凛を主演にした新入部員勧誘CMを公開した後、「凛が可愛い」という在り来りの理由で入部志望した生徒を自身の一存で断っている。 新垣俊哉(あらがき

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