Month: January 2021

小田急8000形電車 – Wikipedia

小田急8000形電車(おだきゅう8000がたでんしゃ)は、小田急電鉄が1982年(昭和57年)から[9]1987年(昭和62年)まで[10]導入を行なった通勤車両である。 小田急では、編成表記の際には「新宿寄り先頭車両の車両番号(新宿方の車号)×両数」という表記を使用している[11]ため、本項もそれに倣い、特定の編成を表記する際には「8052×4」「8257×6」のように表記する。特定の車両については車両番号から「デハ8100番台」などのように表記する。 輸送力増強と通勤車両の大型化のため[12]、各駅停車から急行にまで運用可能な汎用通勤車両として登場した[13]。9000形以来約11年ぶりのモデルチェンジが行われ[9]、1982年(昭和57年)から1987年(昭和62年)までの間に4両固定編成と6両固定編成が各16編成ずつ、合計160両が製造された[14]。2002年から車体修理が開始され[15]、2003年(平成15年)以降はVVVFインバータ制御方式への改造も併せて進められている[10]。 登場の経緯[編集] 小田急で1969年から大型通勤車両として導入が継続されていた5000形 (初代)は、13年間の増備によって1982年までに合計180両が製造され、車両運用や保守の面からみて適正な車両数となった[16]。この間に進歩した鉄道車両の技術動向を踏まえ、次世代の車両を開発するという機運が生じ[16]、省エネルギー・保守の容易化・長寿命化を主眼とした車両を開発することになった[13]。 2600形は各駅停車用の車両として[17]、5000形は急行用の車両として製造された車両であった[17]が、新型通勤車両は千代田線直通を除く各駅停車・準急・急行のいずれの種別にも使用可能な仕様とすることとした[13]。また、高性能車の他形式[注 1]と相互に連結可能とした[16]上で、箱根登山鉄道線への直通運転も可能な仕様とすることになった[18]。 このような条件を踏まえた開発・設計が行われ、登場したのが8000形である。 車両概説[編集] 本節では、登場当時の仕様を基本として、増備途上での変更点を個別に記述する。更新による変更については沿革で後述する。 8000形は全長20mの車両による4両固定編成と6両固定編成が製造された。形式は先頭車が制御車のクハ8050形で、中間車は電動車のデハ8000形である。車両番号については、巻末の編成表を参照のこと。 車体[編集] 先頭車・中間車とも車体長19,500mm・全長20,000mmで、車体幅は2,900mmの全金属製車体である。外板は厚さ3.2mmの耐蝕性鋼板を採用した[19]。腐食防止対策の観点から、屋根と雨樋の部分には全面的に厚さ1mmのステンレス板を採用し[19]、床板もステンレス製のキーストンプレートとした[19]ほか、側梁の溶接はそれまでのスポット溶接から突き当て全周溶接に変更した[9]。また、台枠については、それまでの小田急の車両では台車の心皿部分が凸形となった構造であった[19]が、8000形では平台枠に変更し[19]、台車ボルスタ部分と車体中心部を個別に製作した上で溶接する方式とした[19]。 正面は大型曲面ガラスを用いたスケルトン構造とし、窓回りの柱を黒色とすることによって大きな1枚窓のような感覚を与えるものとする一方で、安全対策上から貫通扉を残し[18]、貫通路脇には手すりを設置した[20]。行先表示器・種別表示器や通過標識灯などは前面ガラス内に収められている。前照灯と尾灯については角型で、一体化したものを運転席・助士席の窓下に配置した。側面客用扉は4箇所で、いずれも1,300mm幅の両開き扉である。なお、乗務員室の奥行が5200形より約100mm広くなったこと[14]から、乗務員室直後の戸袋窓設置は省略されている[14]。落成当初は正面貫通扉に青帯が回り込んでいないデザインであったが[21]、報道発表時点で貫通扉にも青帯が入ったものに改められている。 側面窓は、9000形では1段下降窓としていた[22]が、下降窓の特性から雨水が車体内部に入り込み[3]、防錆対策を行っても腐食の進行がみられた[3]。この経験から、8000形では側窓と水受けを完全に一体としたアルミニウム製ユニット窓とすることで完全防水化を図った[3]。水受けにたまった水は水抜きパイプで車体外部に排出される[3]。窓そのものはサッシレスタイプとして、走行中の窓枠接触音[注 2]の解消を図った[23]。車体に直接ユニット窓を取り付け[3]、境界部分はシール材でカバーする方法とし[3]、側面窓外周にはアルミの縁取りがされた状態になった[24]。 車両間の貫通路は1900形から5200形まで続いた広幅貫通路ではなく、800mm幅の狭幅貫通路とし[25]、保安度と空調効果の向上という目的で全車両に片引き式の仕切り扉を設置した[23]。妻面の窓は固定式である。 内装[編集] 座席はすべてロングシートで、客用扉間に7人がけ、客用扉と連結面の間には4人がけの座席が配置される車内レイアウトや定員は5000形と同じである[14]。

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天使のウィンク – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “天使のウィンク” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 「天使のウィンク」(てんしのウィンク)は、松田聖子の楽曲で、20枚目のシングルである。1985年1月30日にリリースされた 品番:07SH 1600(レコード)特製レーベル、黄色スリーブ仕様で販売。 1989年には8cmCDとして、2004年には紙ジャケット仕様の完全生産限定盤12cmCD(レーベルゲートCD)として再びリリースされている。 天使のウィンク(作詞・作曲:尾崎亜美 編曲:大村雅朗)(広東語:林憶蓮——《愛情 I Don’t Know》) ダイハツ工業「新シャレード」イメージソング。 前年のアルバム「Tinker Bell」で楽曲を提供していた尾崎亜美がシングルでは初めて作曲に起用された。作詞も前作まで永らく携わってきた松本隆に変わって担当した。

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阜陽市 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “阜陽市” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年1月) 阜陽市(ふよう-し)は中華人民共和国安徽省に位置する地級市。 安徽省の北西部の黄淮海平原の南端、淮北平原の西部に位置する。北は亳州市、東は淮南市、南は六安市、西は河南省周口市及び信陽市と接する。淮河の北岸の大きな支流の潁河が流れる。 阜陽地区には周代には嬀姓の胡子国が存在していた。春秋戦国時代には原陽・新・寝などの県邑が設置されている。 秦代になると汝陰県が置かれ、漢代には汝南郡に、三国時代になると汝陰郡の管轄とされた。527年(孝昌3年)、北魏により潁州が設置され、その後は隋朝により汝陰郡、唐朝により潁州、宋朝により順昌府、明朝により潁州、清朝により潁州府が設置された。 1735年(雍正13年)、清朝により潁州に阜陽県が設置され、中華人民共和国成立後は阜陽地区とされた。1996年1月に地級市として阜陽市に改編された。 また阜陽市北部の亳州市は1372年(洪武6年)に潁州に統合されて以来、阜陽地域の一部とされていたが、1998年2月に新に地級市として亳州市が分割され現在に至っている。 行政区画[編集] 下部に3市轄区・1県級市・4県を管轄する。 市轄区: 県級市: 県:

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第63回オールスター競輪 – Wikipedia

第63回オールスター競輪(だいろくじゅうさんかいオールスターけいりん)は、2020年8月12日から16日まで、名古屋競輪場(愛知県名古屋市)で行われた、競輪のGI競走。優勝賞金4,480万円(副賞込み)[1]。 競走成績[編集] 配当金額[編集] 上段:複式、下段:単式 2枠連 2車連 3連勝 ワイド 48,674票 140,216票 694,649票 74,121票 3=5 510円 (2) 3=7 550円 (2) 1=3=7 440円0

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上巳 – Wikipedia

上巳(じょうし、じょうみ)とは、五節句の一つ。3月3日。 旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、桃の節句(もものせっく)とも呼ばれる。 「桃の節句」の起源は平安時代より前であり、京(現在の京都府)の貴族階級の子女が、天皇の住居である御所を模した御殿や飾り付けで遊んで健康と厄除を願った「上巳の節句」が始まりとされている。 やがて武家社会でも行われるようになり、江戸時代には庶民の人形遊びと節句が結び付けられ、行事となり発展して行った。その後、紙製の小さな人の形(形代)を作ってそれに穢れを移し、川や海に流して災厄を祓う祭礼になった。この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代の頃から、豪華な雛人形を飾る雛祭りは女子に属するものとされ、端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武」にかけて男子の節句とされるようになり、現在に至る。 「上巳」は上旬の巳の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。 各地の行事[編集] 日本[編集] 新暦の3月3日に行われ、雛人形の段飾りを飾る。上巳節に雛人形を飾るのは、日本特有の習俗[1]。 沖縄県[編集] 旧暦にそって行われる。海浜に出かけ、手足を海水に浸して身を清めて健康を祈願する。またご馳走を持ち寄って浜辺で食べる。 台湾[編集] 伝統的な台湾は旧暦3月3日の上巳節に、邪気を払うため、墓参りを兼ねて踏青(ピクニック、野遊び)を行う。 中国大陸[編集] 中国では、漢初より両漢を通して行われた行事であり、『後漢書』礼儀志上には「官民皆な束流の水の上に潔し、洗濯祓除と曰う。宿き垢痰を去りて大潔を為すなり」とあり、官民そろって水辺に出て祓除をする行事であった[1]。 三月上巳に限らず、季節の節に同様の祓除が行われ、この祓除の行事が宮中では洗練され、曲水宴として人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴と変遷した[1]。唐代に至ると、曲水宴は宮中だけでなく上流階級の私宴となり、次第に上巳節は本来の川禊が失われて水辺での春の遊びと変化し、庶民にとっては農事の節日へと展開していった[1]。 古代[編集] 婚姻と生育の神の高禖を祭る。 北極星を象徴する道教の神のzh:真武大帝を祭る。 沐浴して、禊を行い、身体を清潔にし、体の邪気を払う。

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ウサギとカメ – Wikipedia

カメに追いつくことを試みるウサギ。 「ウサギとカメ」(兎と亀)は、足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する話。 イソップ寓話やラ・フォンテーヌが書いた寓話詩にも所収されている。 同じ素材の話がジョーエル・チャンドラー・ハリスの「リーマスじいやの話」にもあるが、内容は大きく異なる。 日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科の国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた[1]。 イソップ寓話の話[編集] 石原和三郎の碑群馬県みどり市、旧花輪小学校記念館屋外展示。 あらすじ[編集] ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。ウサギは少し疲れていたので、ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。 教訓[編集] 過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。 童謡[編集] 「うさぎとかめ」は日本語の童謡。石原和三郎・作詞、納所弁次郎・作曲。文部省唱歌として知られる。 1・もしもし かめよ かめさんよ   せかいのうちに おまえほど   あゆみの

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ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜 – Wikipedia

『ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜』(ユーディーのアトリエ グラムナートのれんきんじゅつし Atelier Judie 〜The Alchemist of Gramnad〜)は、2002年6月27日にガストより発売されたPlayStation 2用ソフト。懐中時計などが付属した初回限定版も発売された。また、2003年8月7日にはガストベストプライスとして廉価版も発売された。2010年4月8日にはPlayStation Portable版『ユーディーのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士〜 囚われの守人』が発売。 錬金術でアイテムを調合するのが特徴のRPG「アトリエシリーズ」の4作目であり、A4の通し番号を振られている(外伝的作品を除く)。A5にあたる『ヴィオラートのアトリエ 〜グラムナートの錬金術士2〜』と合わせ、特に「グラムナートシリーズ」と呼ばれる。ザールブルグシリーズの最終作である前作『リリーのアトリエ 〜ザールブルグの錬金術士3〜』の少し後の時間軸であり、ザールブルグシリーズに出ていた人物がゲスト出演しており、後のイリスのアトリエシリーズとも繋がっている。 システム[編集] ゲーム開始からエンディングまでの経過時間に制限がなく、いつエンディングを迎えるかをプレイヤーの自由意志で決定できる点が、従来のアトリエシリーズとは大きく異なっている。イベントに関しても特定の条件を満たしさえすればいつでも発生する。また、一度エンディングを迎えると隠し要素の「マイバウムの塔」が出現するとともに、次のクリア時には「もうひとつの」エンディングが用意されるようになる(エンディングはプレイヤーが選択できる)。 最大の特徴は「品質」、「劣化」の概念。素材アイテムの持つ品質や特性が調合アイテムに受け継がれるシステムとなっており、これを理解してアイテムを調合することが求められる。また、農作物などのなまものは時間の経過により腐り、シリーズではお馴染みの爆弾「フラム」も雨に濡れればしけって使い物にならなくなるなど一部を除くアイテムは劣化する。放っておくとゴミと化すアイテムがある一方で、時間を置くことでワインは熟成して価値を高め、魔法アイテムには魔力が充填されるなど悪いことばかりではない。 食料品や薬など一般的に広く使われる調合アイテムについては各地の量販店での取引が可能となっており、質の高い物を登録しておけばその後、わざわざ調合せずとも購入して利用することが出来るようになっている。ただし、店ごとに品数の制限や店主の腕前による品質制限が設けられており必ずしも万能とは言い難い。

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イオンモール川口前川 – Wikipedia

イオンモール川口前川(イオンモールかわぐちまえかわ)は、埼玉県川口市に所在するイオンモール株式会社運営のリージョナルショッピングセンターである。 サイボー株式会社の本社敷地内に所在したサイボー本社工場(1997年7月に閉鎖)の跡地に建つ。2000年(平成12年)11月8日開業[2]。 株式会社ダイヤモンドシティのモール型SC1号店として開設した[5]。 2007年(平成19年)8月21日に株式会社ダイヤモンドシティがイオンモール株式会社と合併した[6]ため、名称が「ダイヤモンドシティ・キャラ(DIAMOND CITY carat)」から「イオンモール川口キャラ」に変更[1][5]。同年11月23日に店鋪を増築した事により、新テナントを誘致し、30代女性を主客層に改装した[5]。 2011年(平成23年)から進められたイオンの大型ショッピングセンターの名称の「イオンモール」への統一[7]に伴い、同年11月21日に「イオンモール川口キャラ」から「イオンモール川口前川」に名称が変更された[3]。 なお、核店舗の「ジャスコ川口前川店」は[2]、2011年(平成23年)3月1日にイオングループの総合スーパーをイオンに店名統一する[8]ことに伴って「イオン川口前川店」に改称した。 土地・建物はイオンモール川口と同じく、サイボーから賃借している[1]。両店舗間は直線距離で1.5kmしか離れていない。 主なテナント[編集] 核店舗のイオン川口前川店(2011年(平成23年)2月28日まではジャスコ川口前川店)のほか、約160のテナントが出店している。 出店テナント全店の一覧・詳細情報は公式サイト「ショップガイド」を、営業時間は公式サイト「営業時間・サービス案内」を参照。 過去に存在した主なテナント[編集] 最寄り駅への交通機関[編集] 詳細は公式サイト「アクセスガイド」を参照。 周辺施設[編集] ^ a b c

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瞳ノ翼 – Wikipedia

「瞳ノ翼」 access の シングル 初出アルバム『binary engine』 B面 瞳ノ翼(TV size version) リリース 2007年7月18日 ジャンル J-POP レーベル ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ 作詞・作曲 井上秋緒(作詞)浅倉大介(作曲・編曲) プロデュース 浅倉大介

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