只隈 伸也(ただくま しんや、1963年7月22日 – )は、日本の陸上競技選手。専門は中・長距離走種目。大東文化大学スポーツ・健康科学科准教授。 略歴・人物[編集] この陸上競技選手の経歴・人物像に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2008年12月) 福岡県出身。北九州市立霧丘中学校→九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)→九州電電→大東文化大学→女子栄養大学大学院修士課程修了。ヤクルト→仙台育英学園高等学校陸上競技部監督→大東文化大学陸上競技部コーチ、陸上競技部監督。2008年現在は陸上競技指導者を退任、大東文化大学スポーツ・健康科学科准教授[1]。身長174 cm、血液型A型。 九州国際大学付属高等学校(旧 八幡大学附属高等学校)時代は九州地区でも負け無しの強さを発揮。なお、マラソン・駅伝解説者のニッポンランナーズ理事長金哲彦とは高校の同級生であり、箱根駅伝(ラジオ中継)、NHKデジタル総合にて2007年3月4日放送の第62回びわ湖毎日マラソン・世界陸上選手権代表選考会で一緒に解説を行った[2]。高校卒業後、九州電電に就職して陸上競技を続けるが、当時大東文化大学陸上競技部の監督だった青葉昌幸にスカウトされて大東文化大学に入学。大学時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会(箱根駅伝)に1年(1985年)から4年(1988年)まで4年連続でエントリーされ、3年次(1987年、第63回大会)には区間賞も獲っている。この時、当時1号車解説だった大久保初男に対して、ガッツポーズを見せる余裕があった。3年次に「華の2区」で区間賞を獲った際には人気を集めた。 全日本大学駅伝にも1年から4年までエントリーされている。2年次(1986年)と3年次(1987年)には区間賞を受賞。 1987年(昭和62年)の関東学生陸上競技対校選手権大会では1,500m・5,000m・10,000m・ハーフマラソンと4種目制覇を達成している。大学卒業後はヤクルトに入社、国際大会の代表候補になったが故障のため出場は果たせずに現役を引退した。 引退後の1997年には仙台育英高校の陸上競技部監督に就任し、指導にあたった。1999年には母校・大東文化大学陸上競技部のコーチに就任し、青葉監督の下で後輩の指導にあたった。2000年には同大学陸上競技部監督に就任した。2008年を以って監督を退任。 2005年に新設された大東文化大学スポーツ・健康科学部の准教授として教鞭をとっている[1]。 主な戦績[編集] ≪箱根駅伝≫ 年度 回
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