田原俊彦 – Wikipedia

田原 俊彦(たはら としひこ、1961年2月28日 – )は、日本の歌手(アイドル)、俳優、タレント。

神奈川県横須賀市出生、山梨県甲府市出身[1]。ジェイブレイブ所属。血液型B型。愛称はトシちゃん。妻は元モデルの向井田彩子。長女はタレントの田原可南子[2]

所属事務所[編集]

ジャニーズ時代の参加ユニット[編集]

山梨県立甲府工業高等学校(全日制・土木科)卒業。身長175cm、体重62kg[3]。姉が2人、妹が1人いる[1]。父は生前教師をしており、その時の教え子に伊藤聖史が居た。

歌手デビューまで[編集]

1967年3月、横須賀・大津マリア幼稚園を卒園後、同年4月に横須賀市立馬堀小学校に入学。しかし、入学後間もなく6月23日に父が糖尿病で亡くなり、一家の生活が立ち行かなくなったため、翌7月2日に母の故郷である山梨県甲府市桜井町に転居[1]。母の手ひとつで育てられながら、高校卒業までを甲府市で過ごした[注 1][注 2]

幼い時に父を亡くし、田原を含む4人の子供を抱えた母子家庭の生活は貧しく、また芸能界に対する強い憧れもあって、貧しい生活から早く抜け出して一家を楽にさせるには芸能人になって成功する以外に道はないと中学時代から決意していた。高校に入学した直後の1976年5月にジャニーズ事務所宛の履歴書を送ったが、いつまでたっても返事が来なかったため、同年8月に事前連絡することなく東京の事務所を直接訪問。事務所のスタッフからジャニー喜多川社長の居場所を教えられ日劇へ行き、ジャニー本人と直談判の末、入門を認められる[4][5]

高校時代は事務所のレッスンのため週末ごとに甲府市と東京の間を電車で往復する生活を続けた後[注 3]、1979年3月1日、高校卒業と同時に正式に上京。母は当初、息子の芸能界入りに反対していたが、息子が正式に上京する時には、「やっぱり芸能界は無理だった、なんて言って逃げて帰って来るんじゃないよ」と言って送り出したという[7]

テレビの初出演は1978年の秋(当時高校3年生)、テレビ朝日の『とびだせ!パンポロリン』にて。歌と体操のお兄さんとして出演していたギャングスの松原秀樹の代役出演。

1979年4月、曽我泰久(現:曾我泰久)、長谷部徹と共に、川崎麻世のバックコーラス&ダンスグループ「ピラミッド」を結成。同年7月まで、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージックボンボン』にもピラミッドとして出演[8]。同年7月、フォーリーブスのおりも政夫がミュージカル『南太平洋』に出演した際、1ヶ月間だけ彼の付き人を経験したことがある。

1979年10月から半年間、学園ドラマ『3年B組金八先生』に沢村正治役でレギュラー出演。同番組で共演の近藤真彦と野村義男と共に「たのきんトリオ」の愛称で人気を博することになった。なお、近藤と野村は放送当時実際に中学生(当時15歳)であったが、田原はすでに18歳(放送中に誕生日を迎え19歳)で高校を卒業していたため、事務所側の意向もあり、1歳若く年齢を詐称。その年齢との辻褄を合わせるため、公式のプロフィールも「高校を2年一杯で中退」に変更した。この件については、後に歌番組の中で謝罪している。当時の田原の人気は凄まじく、全国から送られてくるファンレターの数が最高で月18万通にも達したという。

1980年春、NHKの若者向け音楽番組『レッツゴーヤング』に番組専属グループ「サンデーズ」の新メンバーとしてレギュラー出演。

歌手デビュー後 – 全盛期[編集]

1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビューした。以降、1980年代のトップアイドルとして活躍する[9]。ダンスビートに乗って踊りながら歌うポップスの男性アイドルとなった[10]。第1シングルB面および第2シングル以降、クラシック畑の宮下智を作曲担当にした。1982年、ブロマイド年間売上実績の男性部門でトップとなった。

第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞し、その後も『教師びんびん物語』などのドラマに主演するなど、俳優としても活躍した。

ファンによるステージ用の応援コールも生まれた。代表的なものは「T・O・S・H・I スーパーアイドルLOVE俊ちゃん!」。また、『哀愁でいと』から『ジャングルJungle』まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持つ。その後の3作はTOP入りを逃すも、『雨が叫んでる』で通算38作目かつ現在で最後のTOP10入りとなった。通算で38作のオリコンTOP10入りはサザンオールスターズの『愛と欲望の日々/LONELY WOMAN』に破られるまで、当時歴代1位の記録だった。

1984年ロサンゼルスオリンピックの際、聖火リレーのランナーの1人として、日系アメリカ人俳優のジョージ・タケイらとリトル・トーキョーを走った。その際、現地報道では「日本のマイケル・ジャクソン」と紹介された[11]

TBS系『ザ・ベストテン』では最多出場記録を持っており、同番組には田原の名前入りの青いソファーが1988年1月7日よりスタジオに設置され。このソファーは、1987年12月31日の『ザ・ベストテン』放送の際に紹介。

フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』初出演はデビュー9日後の1980年6月30日放送回[12]。以降、原則月1回〜2回のハイペースで出演を続け、番組終了(1990年10月)までの間に158回の出演回数を記録。番組が『夜のヒットスタジオDELUXE』と改題、2時間枠に放送時間を拡大したのを機に新設されたマンスリーゲストにも歴代最多の3回(1985年5月、1986年12月、1989年6月)抜擢。『教師びんびん物語』主演当時は教え子役の子役との共演ともに主題歌でもある『ごめんよ涙』を披露、座長公演の最中での出演時はその舞台のいでたちで番組に登場、渡辺貞夫・久保田利伸らとセッションを行うなど、パフォーマンスを数多く番組内で披露。レギュラー放送最終回の1990年9月19日放送ではトリを任され、スタジオを駆け回りながら『ジャングルJungle』を熱唱。

1980年から1986年まで、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場。しかし1987年は、歌手活動より俳優業が多くなった時期でもシングルは『KID』、ドラマ『ラジオびんびん物語』の主題歌『どうする?』等3枚発売しれたが、落選。翌1988年に発売された『抱きしめてTONIGHT』がフジテレビ系ドラマ『教師びんびん物語』の高視聴率とリンクしたこともあり、久々の長期的ヒットに発展。同年の紅白に選ばれるが、前年落選の報復をするかのように、本人の希望で出場者発表後に突然の辞退宣言を表明[注 4]。1989年、『ごめんよ涙』でヒットしたものの、不出場。その後、NHKの番組に一切出演していなかったが、1994年『ふたりのビッグショー』(松田聖子と共演)、2005年『思い出のメロディー』に出演。

光GENJIの諸星和己の回想によると、当時の田原はジャニーズ合宿所で別格で、夜9時ぐらいに田原が帰ってくるまで他のタレントは夕食を食べてはいけないことになっていた、近藤も頭を下げる事があった、など絶対的な存在だったという。

ジャニーズ独立後[編集]

1991年1月、個人事務所「DOUBLE “T” PROJECT」を設立。当初ジャニーズ事務所と並行して所属していたが、1994年3月1日にジャニーズ事務所から完全に独立。それに先立つ1994年2月17日、長女が誕生。記者会見に応じるが、一通り話した内容のうち会見終了時に発した「僕くらいビッグになると…」の部分だけをマスコミが切り取って取り上げられ、激しいバッシングを受ける。本人としてはジョークのつもりだったが、メディアから「思い上がっている」と批判された。後年のインタビューでは「僕に力がなかった」と反省するコメントをしている。[13]

この独立は、ジャニーズ側の反対を押し切って実行されたものと言われ、独立後はジャニーズの後輩たちとの共演はほぼ不可能となった。独立当初は田辺エージェンシーと業務提携していたため『笑っていいとも!』などに出演していたが、提携解消後はたちまち芸能活動が立ち行かなくなり、1996年に事務所は倒産。『教師びんびん物語』で共演していた野村宏伸のつてでヒロ・パブリッシャーズと契約するも、テレビ業界からは完全に干され、タレントとしても長らく不遇な時期が続いた。その後、毎年コンサートツアーやディナーショーを全国各地で行い、地道な努力を辛抱強く積み重ね再びマスコミの注目を集めるようになった。

現在は司会者としても活躍しながら、古くからのファンだけでなく多くの若年層のファンをも獲得。

2006年6月からインターネットラジオ番組「田原俊彦DOUBLE”T”リラックスタイム」を開始し、2009年シーズン4では視聴者数(ユニークユーザー)が25万人を超えた。2010年4月にシーズン5を迎え、田原俊彦DOUBLE”T”リラックスタイム5と題している。

2009年4月、田原俊彦デビュー30周年記念プロジェクト公式サイトを設立。同年5月27日、23年ぶりとなる自伝『職業=田原俊彦』(KKロングセラーズ刊)を出版。

2017年2月、ユニバーサルJより6月にシングル「フェミニスト」発売を発表。2006年以来11年ぶりのメジャー復帰。

2021年8月18日、同月14日に亡くなり、過去世話になった藤島メリー泰子にお悔やみのコメントを発表した[14]

マイケル・ジャクソンを最も尊敬するアーティスト、お師匠さんと挙げている[15]

矢沢永吉と浜田省吾の大ファン[15][16][17][18][19]、初のライブ観戦は中学一年生のとき、山梨学院大学講堂で行われたキャロルのライブだった[19]。浜田はデビュー前、『MIND SCREEN』を聴きファンになり[16]、デビュー後に『MIND SCREEN』収録「ダンシング・レディ」をテレビで歌唱[16]。浜田とは『明星』1987年1月号で対談[17]、都度、浜田の作品を雑誌記事で紹介。浜田から「詩を作ってくれたら曲をプレゼントするよ」と言われたが[17][18]、実現はしなかった。田原がプロデビュー後に行った他人のコンサートは浜田のみ[20]、カラオケでは自分の曲は歌わず、浜田と矢沢を歌う[21]

田原は過去の独立問題と何ら関係なく、人生最大の恩人としてジャニー喜多川に対する敬意と感謝の気持ちを、今も変わらず持ち続けている旨を自伝『職業=田原俊彦』の中で語っている。

前述の通り幼い時に父を亡くしているため、自分にとってはジャニーは第2の父であると語っている。

田原のバックダンサーや振付師として、木野正人(乃生佳之と共に「BD104(バックダンサートシ)」を1980年代後半に組んでいた[22][23])が長年、務めてきた。現在のバックダンサーはNAOTO(LYRICAL THANKS・Red Ribbon)を筆頭に男性4人構成で全ステージを彩る。

交友関係

プロサッカー選手の三浦知良とは、三浦がまだ無名だった頃からの親友[24]

1993年、三浦がJリーグアウォーズ表彰式で、初代MVPを受賞した際着ていた真赤なタキシードは、田原が10周年コンサートツアーで着用した物。テレビでの共演も多い。

近藤とは若いころ仲がよかったが2021年時点で連絡を取り合うことがないほど接点がなくなったものの、近藤が退所したことで現状を案じるなど気にかけている[25]

数多のデュエット共演をした研ナオコと、非常に仲が良いことで知られる。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

DVDシングル[編集]

デュエットシングル[編集]

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
キャニオン・レコード / NAV
1st 1980年8月5日 田原俊彦 LP C25A-0111
2nd 1980年12月13日 TOSHI’81 LP C25A-0133
3rd 1981年6月24日 No.3 Shine Toshi LP C28A-0173
4th 1982年3月27日 夏一番 LP C28A-0213
1982年10月21日 CD D35A-0007
5th 1983年1月27日 EVE only LP C28A-0253
1983年4月21日 CD D35A-0012
6th 1983年7月21日 波に消えたラブ・ストーリー LP C28A-0283
7th 1984年3月21日 ジュリエットからの手紙 LP C28A-0333
8th 1984年6月21日 メルヘン LP C20A-0353
9th 1984年11月21日 TOSHI 10R NEW YORK LP C28A-0383
10th 1985年7月4日 Don’t disturb LP C28A-0423
1985年7月21日 CD D32A-0100
11th 1985年12月15日 失恋美学 LP C28A-0459
CD D32A-0144
12th 1986年6月19日 男…痛い LP C28A-0503
CD D32A-0192
13th 1986年12月5日 目で殺す LP C28A-0543
CD D32A-0255
14th 1987年5月21日 YESTERDAY MY LOVE LP C28A-0563
CD D32A-0286
ポニーキャニオン / NAV
15th 1988年7月13日 Dancin’ LP C28A-0651
CD D32A-0377
16th 1989年5月17日 TOKYO BEAT LP C25A-1006
CD D29A-1012
17th 1990年6月21日 DOUBLE“T” CD PCCA-00069
18th 1991年6月5日 夏の王様 〜MY BLUE HEAVEN〜 CD PCCA-00276
19th 1992年9月2日 GENTLY CD PCCA-00391
20th 1993年8月4日 MORE ELECTRIC CD PCCA-00471
21st 1995年9月6日 TENDERNESS CD PCCA-00796
ガウスエンタテインメント / ディスワン
22nd 1998年7月23日 Vintage 37 CD GRCO-2001
Formula Recordings
23rd 2013年6月19日 I AM ME! CD+DVD QWCF-10438
CD QWCF-10439

カバー・アルバム[編集]

セルフカバー・アルバム[編集]

ベスト・アルバム[編集]

サウンドトラック[編集]

発売日 タイトル 規格 規格品番
キャニオン・レコード / NAV
1st 1981年11月29日 グッドラックLOVE オリジナルサウンドトラック盤 LP C28A-0193
2nd 1983年10月5日 TOSHI THE MOVIE[注 6] CT 28P-6263
1983年11月5日 TOSHI THE MOVIE
3rd 1987年1月21日 瀬戸内少年野球団[青春篇]最後の楽園 サウンドトラック LP C25A-0545
CD D30A-0264

映像作品[編集]

  1. Toshi Forever(1983年8月4日)
  2. メルヘン(1984年10月1日)
  3. TOSHI 12R NEW YORK(1984年12月6日)
  4. 田原俊彦 7 Years’ Memory(1986年6月19日)
  5. 青春グラフィティ ミュージカル「ACB」-恋の片道切符-(1988年3月1日)
  6. 10TH ANNIVERSARY GLORIOUS (1989年10月14日)
  7. ジャングルJungle(1990年5月21日、シングルビデオ)
  8. DOUBLE “T” ’90(1990年12月5日)
  9. NUDE(1991年2月6日、シングルビデオ)
  10. 夏の王様 -MY BLUE HEAVEN- (1991年6月21日)
  11. GENTLY(1992年9月18日)
  12. PRESENTS(1994年7月6日)
  13. Vintage Life(1998年12月16日)
  14. 25th Anniversary LIVE&CLIPS「DT:025」(2004年4月21日)
  15. 30th Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE “T” TOUR 2009(2010年4月22日)
  16. さよならloneliness(2011年5月21日、ファンクラブ通販限定シングルビデオ)
  17. 33rd Anniversary TOSHIHIKO TAHARA DOUBLE “T” TOUR 2012(2013年2月20日)

タイアップ[編集]

写真集[編集]

主な出演作品[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

  • 必殺始末人II 乱れ咲く女役者の夢舞台(1997年7月発売)
  • 必殺始末人III 地獄に散った花びら二枚(1998年2月発売)

テレビドラマ[編集]

  • 3年B組金八先生(TBS) – 沢村正治 役
    • 3年B組金八先生 第1シリーズ(1979年10月 – 1980年3月)
    • 3年B組金八先生 スペシャルI「贈る言葉」(1982年)
    • 3年B組金八先生 スペシャルIII「小さな嘘」(1984年)
    • 3年B組金八先生 スペシャルIV「イジメられっ子 金八先生」(1985年)
  • 心(1980年4月24日 – 1981年1月29日、TBS) – 宮寺恵一 役
  • ただいま放課後(1980年5月 – 1981年3月、フジテレビ) – 北川豪史 役
  • それからの武蔵(1981年、テレビ東京)
  • 東芝日曜劇場(TBS)
    • 愛情(1981年、TBS)
    • おんなの家(1981年)
    • 妻の寝顔(1982年)
    • 夢かける甲子園(1985年9月1日) – 主演
    • 春の雪ダルマ(1986年)
  • さよなら三角またきて四角(1982年4月 – 6月、TBS)
  • 看護婦日記 パートI(1983年、TBS) – 井花圭一 役
  • こぶしの花(1984年2月15日、日本テレビ) – 主演
  • 燃えて散る炎の剣士 沖田総司(1984年、日本テレビ) – 主演
  • サントリーミステリーロマン「運命交響曲殺人事件」(1984年 テレビ朝日)
  • 火曜サスペンス劇場 聖夜に愛が死んだ(1984年12月25日、日本テレビ) – 主演
  • ロックシンガーは闇に沈む(1985年、NHK) – 主演
  • はらはらと雪月花(1986年1月3日、TBS)
  • 森繁久弥の七人の孫(1987年、TBS)
  • SF氏の不思議なトリップ(1987年、HBC制作・TBS) – 主演
  • びんびんシリーズ(フジテレビ) – 主演・徳川龍之介 役
    • ラジオびんびん物語(1987年8月 – 9月)
    • 教師びんびん物語(1988年4月 – 6月)
    • SPびんびん物語(1988年10月6日)
    • 教師びんびん物語II(1989年4月 – 6月)
    • 巡査びんびん物語(1999年5月14日)
    • 教師びんびん物語スペシャル(2000年3月17日)
    • 教師びんびん物語スペシャルII(2001年3月16日)
  • 金太十番勝負!(1988年10月 – 12月、フジテレビ) – 主演・東金太 役
  • 赤ひげ(1989年、TBS) – 主演
  • 俺たちの時代(1989年10月 – 12月、TBS) – 主演・柴田竜夫 役
  • 日本一のカッ飛び男(1990年4月 – 6月、フジテレビ) – 主演・倉田健人 役
  • 松本清張作家活動40年記念SP・張込み(1991年9月27日、フジテレビ) – 主演・柚木刑事 役
  • 次男次女ひとりっ子物語(1991年10月 – 12月、TBS) – 主演・桜井祥平 役
  • 逃亡者(1992年7月 – 9月、フジテレビ) – 主演・加山英治 役
  • 家族の食卓’93「妻の入院」(1993年1月3日、フジテレビ) – 主演
  • 愛してるよ!(1993年10月 – 12月、テレビ朝日、月曜ドラマ・イン) – 主演・伊達真介 役
  • 秋の特選ミステリー「死刑台のエレベーター」(1993年11月19日、フジテレビ) – 主演
  • 怪談 KWAIDANIII「牡丹燈篭」(1994年、フジテレビ) – 主演
  • 半熟卵(1994年10月 – 12月、フジテレビ) – 小柳晴夫 役
  • 世にも奇妙な物語 冬の特別編「ブルギさん」(1995年1月4日、フジテレビ) – 主演・高野 役
  • 素浪人 花山大吉(1995年4月1日、テレビ朝日) – 焼津の半次 役

バラエティ番組[編集]

音楽番組[編集]

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
  • 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。

ラジオ[編集]

  • 田原俊彦 8時のでいと(1980年、ニッポン放送) – 松原秀樹と共演
  • 田原俊彦 ハロー!アイラブユー(1981年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦のグッドラック2ナイト(1981年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 誘惑トゥナイトSHE!SAYS!DO!(シー・セイ・ドゥー)(1982年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 君とSHOWERING NIGHT SHE!SAYS!DO! (1983年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! いつだってアイ・ラブ・ユー (1983年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 気分はナチュラル! (1986年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 SHE!SAYS!DO! 心はストレート (1986年、ニッポン放送)
  • 田原俊彦 ひとつぶの青春 (1984年、エフエム東京)
  • 田原俊彦のDancing Tonight (1988年、ニッポン放送)
  • ザ・リクエストパレード(ニッポン放送)
  • 田原俊彦のフライデー・トリコロール(1993年7月23日、エフエム東京)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T” リラックスタイム (インターネットラジオ、2006年6月29日 – 12月19日・全26回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム2 (インターネットラジオ、2007年6月8日 – 9月21日・全16回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム3 (インターネットラジオ、2008年4月4日 – 9月28日・全26回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム4 (インターネットラジオ、2009年4月10日 – 9月18日・全24回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム5 (インターネットラジオ、2010年4月2日 – 9月10日・全24回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム6 (インターネットラジオ、2011年4月15日 – 9月23日・全24回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム7 (インターネットラジオ、2012年5月18日 – 11月9日・全12回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム8 (インターネットラジオ、2013年5月18日 – 11月8日・全12回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム9 (インターネットラジオ、2014年6月13日 – 11月28日・全12回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム10 (インターネットラジオ、2015年6月5日 – 11月20日・全12回)
  • 田原俊彦 DOUBLE “T”リラックスタイム11 (インターネットラジオ、2016年6月10日 – 11月25日・全12回)

舞台[編集]

アニメ[編集]

  • 鷹の爪.jp(2012年、YouTube) – 6月期ナレーション・提供クレジットBGM
  • 鷹の爪シックス 〜島根は奴らだ〜 (2013年、特典DVD)

モバイル[編集]

CM[編集]

イベント[編集]

  • 「104 the NIGHT in Nishiazabu」 (2007年10月4日、西麻布・CLUB XROSS、ゲスト・前田忠明)

注釈[編集]

  1. ^ なお、父の墓も甲府市にあり、父の命日の時期には必ず甲府市に戻って墓参りをしているという。
  2. ^ このため、NHK紅白歌合戦における出身地紹介では「神奈川県横須賀市出身」「山梨県甲府市出身」と異なる表記がされることもあった。ただし、田原本人は自らを横須賀市出身ではなく甲府市出身であると公式に宣言している。
  3. ^ ちなみに、田原が高校時代に甲府市の自宅と東京の事務所を往復する際の交通費は全てジャニーが払っており、しかも田原がレッスンを終えて日曜日の晩に甲府市へ帰る際には、毎回必ずジャニー自ら新宿駅のホームまで田原を見送りに行っていたという[6]
  4. ^ かつて病気や不祥事等で発表後に辞退というケースは何度かあったが、出たくないという理由で発表後に辞退というケースは現時点では田原と1970年の江利チエミの2人だけ。それ以外では発表前に辞退を申し出るケースがほとんどであったため、発表後にしかも本人が固辞して辞退というケースは前代未聞であった。
  5. ^ 歌とナレーション:田原俊彦・近藤真彦・野村義男
  6. ^ 『TOSHI CAN』と題した缶入りカセットテープとして限定発売され、缶の中にはカラーピンナップやジグソーパズルなども封入。
  7. ^ 歌詞を一部変更している。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式サイト
SNS
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