新撰旅団 – Wikipedia
新撰旅団(しんせんりょだん)とは明治10年(1877年)に起きた西南戦争の際、官軍側が東北諸藩士族を警部 巡査として徴募し、戦地に派遣した軍団。 西南戦争の後半(明治10年7月20日から)、宮崎から鹿児島での戦いに参戦。 編成経緯[編集] 西南戦争勃発により、官軍兵力の不足が征討軍より訴えられ、軍部当局として兵員徴募が急務になり、政府部内に即戦力となる士族を臨時に徴募し、これを以って兵員不足を補う案が出た。 しかし、明治6年(1873年)制定の徴兵令によらずに、士族を徴募することになると、軍政的に徴兵制度を破壊することになるとして、山縣有朋が反対。[1] そこで、徴兵令に抵触しない方法として、身分は警部 巡査として東北諸藩士族を新たに徴募したうえで、その警部 巡査を軍隊に組織化して戦地に増援することになった。[2] (川路利良率いる現職の警視庁 警部 巡査で構成した別働第三旅団とは別に徴募) 編成から解団まで[編集] ・明治10年( 1877年)6月6日新撰旅団編入約法が制定される。 「第1項 新撰旅団ハ内務省ニ於テ臨時募集シ、或ハ出願ヲ許可セシ巡査ノ内ヲ以テ編制シ、之ヲ陸軍省ニ属セシメ、他ノ軍人同一ノ用ヲ為サシム 第2項 以下省略」[3] ・警部 巡査の名義を以って東北各藩士族を募集したところ、応募上京した者7,000名超[4] ・7月中旬「新撰旅団」編成(警部巡査ヲ以テス)同月18日軍団ニ編入 司令長官 少将東伏見宮 参謀長 中佐長坂昭徳、中佐千坂高雅 副長 少佐立見尚文
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