西東京市立田無小学校 – Wikipedia
西東京市立田無小学校(にしとうきょうしりつ たなし しょうがっこう)は、東京都西東京市田無町四丁目にある公立小学校である。 学校は西武新宿線の田無駅から西方向に程近く位置し、田無駅北口を出て駅前広場を西方向に進み、田無北口商店街の中を通り抜けると、徒歩で4分程の距離である。 経緯[編集] 刑部真琴像(2015年5月撮影) 田無小学校の歴史は古く、武蔵野国の士族、刑部鉄太郎(おさかべ てつたろう)の二男の刑部真琴(おさかべ まこと)[1][2][3][4]が、漢学や書を学び、学校では習字を教えながら珠算や数学を学んだことに端を発する。刑部真琴は、1872年(明治5年)明治政府が全国に小学校を設置した「学制」を定めたとき、開港したことで賑わっていた横浜に出て小学校で教鞭を執っていた。 1873年(明治6年)8月25日、神奈川県第十一大区、第八中学区第百二十四番小学、真誠学舎を田無村下宿、当時の密蔵院に開く[5]。 密蔵院と総持寺 田無の寺社は総持寺が一番大きく、元は西光寺と称して新義真言宗、石神井三寶寺末であった。明治初年に同じ宿内の密蔵院、観音寺、両寺を併せ、今の名に改めた。密蔵院はもと西光寺の側にあり、同じく新義真言宗三寶寺末で、除地は三石五斗五升与えられていた。観音寺は宿の西方にあり、同じく新義真言宗三寶寺末であった。以上の三寺は1868年(明治元年)振武軍の駐屯所となった[6]。 年表[編集] 1873年(明治6年)8月 – 小学真誠学舎を田無町密蔵院に開く[7]。 1875年(明治8年)7月 – 田無学校と校名を改称する。 1914年(大正3年)
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