ダンカン・ファーガソン – Wikipedia
ダンカン・コーワン・ファーガソン(英語: Duncan Cowan Ferguson、1971年12月27日 – )は、スコットランドの元サッカー選手、現サッカー指導者。元スコットランド代表。ポジションはFW。現在はプレミアリーグ・エヴァートンFCの暫定監督を務めている。 非常にアグレッシブな選手として知られており、頭突きで懲役3ヶ月に処された他、プレミアリーグでは8回レッドカードを受けてパトリック・ヴィエラ、リチャード・ダンと並ぶ記録を有している。 クラブ歴[編集] ダンディー・ユナイテッド[編集] スターリング出身。1990年にダンディー・ユナイテッドFCと契約した。同年内にプロ契約を締結、11月10日に選手初出場を記録した[4]。1991年1月29日にスコティッシュカップでプロ初得点を記録した[4]。1991-92シーズンにはレギュラーとして活躍、41試合16得点でクラブで最も得点した選手となった[4]。さらに翌シーズンも33試合15得点と活躍し、代表にも招集されるようになった[4]。 レンジャーズ[編集] 1993年にレンジャーズFCに400万ポンドの英国史上最高額の移籍金で完全移籍[5]。1994年4月のレイス・ローヴァーズFC戦ではジョン・マクステイに南西コーナーで頭突きをした[6]。主審のケニー・クラークはこれを観ていなかったが、彼が頭突きを繰り返したために目に入る事となった[7]。スコットランドサッカー協会は彼を12試合の出場停止処分にし[8]、最終的に裁判の結果、自身三度目の有罪判決、3ヶ月の収監となり、ピッチ上での出来事でありながら有罪となる珍しい事象となった(後述)[7][9]。 その後、1994-95シーズンの開幕節ではアディショナルタイムにブライアン・ラウドルップのアシストから得点を決めた他[10]、その四日後にはハットトリックを達成するなど活躍した[11]。 エヴァートン[編集] 1994年10月、マイク・ウォルター率いるエヴァートンFCは苦境に陥っているクラブの解決策として、レンジャーズからイアン・デュラントを1ヶ月、彼を3ヶ月の期限付き移籍で獲得した。ウォルターの後任となったジョー・ロイルは完全移籍に切り替えて獲得、チームを降格から救い同シーズンのFAカップ獲得の中心選手として起用した[12]。翌シーズンはヘルニアに苦しんだ他、上述の服役によってチームを離脱している期間も長かった[13]。 1997年12月28日にはヘディングのみでハットトリックを達成するというプレミアリーグ史上初めての記録を達成した[14][15]。しかしクラブ自体は残留争いで、得失点差で降格を免れるという状況であった。 ニューカッスル・ユナイテッド[編集] 1998年11月にニューカッスル・ユナイテッドFCに800万ポンドで完全移籍[16]。この移籍はピーター・ジョンソン会長がウォルター・スミス監督に知らせる事なく行われ、彼はクラブ誌に去らなければいけない悲しみとこのクラブでの出来事を忘れないと綴った手記を2ページに亘って書き連ねた[17]。 ニューカッスルのルート・フリット監督からはデビュー戦で2得点を記録した事から信頼された[18]。しかし負傷によって12月から4月まで戦列を離れ、翌シーズンも負傷に悩まされた事から出場機会は伸びなかった。 エヴァートン復帰[編集]
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