鹿児島県立鹿児島西高等学校(かごしまけんりつ かごしまにしこうとうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市下伊敷一丁目にかつて設置されていた公立の商業高等学校。 鹿児島県立甲陵高等学校との統合により鹿児島県立明桜館高等学校(2010年4月開校)となって、2010年に募集停止し、2012年3月に閉校した。このページでは、前身の鹿児島県立履正中学校(旧制)および鹿児島県立日新高等学校についても扱う。 校訓 「実行・明朗・努力」[1] 校章 二重円の中央部に、さらに太い二重円で囲まれた「高」の文字を置き、3本の矢を中央から上・左右各斜め下に1本ずつ配置。円は太陽を、3本の矢は校訓の3単語を表している。[1] 校歌 1969年2月に制定。作詞は中薗喜節(鹿児島西高等学校初代校長)、作曲は田中義人による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。校歌の制定当初、設置課程が定時制課程と通信制課程であったため、その修業年限が4年ということで、2番の歌詞中に「風雪四年」という言葉があった。しかし、修業年限3年の全日制課程が1976年に設置されたため、作詞者の許可を得て「風雪耐えて」という歌詞に変更された。[2] 設置課程・学科(閉校時) 男女共学だが男子生徒は一学年あたり数人で、生徒のほとんどが女子生徒である。年度によっては男子生徒が0名の学年もあった。[3] 歴史[編集] 1943年に夜間授業をおこなう鹿児島県立履正中学校(旧制中学校)として開校し、学制改革による1948年4月の新制高等学校化で鹿児島県鹿児島高等学校第六部と称する。翌年(1949年)4月の鹿児島県鹿児島高等学校再編では第三部[4]および第五部[5]と統合され鹿児島県鶴丸高等学校(後に鹿児島県立鶴丸高等学校と改称)の定時制課程夜間部となる。1964年に鶴丸高等学校から定時制課程夜間部が鹿児島県立日新高等学校として独立。 1968年に、鶴丸高等学校通信教育部[6]を日新高等学校に移管。同時に定時制課程昼間部を新設し、鹿児島県立日新高等学校から鹿児島県立鹿児島西高等学校と改称。1976年(昭和51年)には全日制課程を設置し、全日制課程・定時制課程(昼間部・夜間部)・通信制課程の全てを有する高等学校となる。 1991年3月に定時制課程昼間部を廃止する。また、鹿児島県立開陽高等学校の新設(2000年4月)にともない、2000年3月に通信制課程が、2003年3月に定時制課程夜間部がそれぞれ廃止されて、全日制課程商業科のみの高等学校となる。 鹿児島県立甲陵高等学校との統合により後継校の鹿児島県立明桜館高等学校が2010年4月に開校。鹿児島西高等学校は、2010年生徒募集を停止し、2012年3月に閉校した。 年表[編集] 1964年4月1日 鹿児島県立鶴丸高等学校から分離し、鹿児島県立日新高等学校として独立(加治屋町の当校地に鹿児島県立鹿児島中央高等学校が移転してきて、日新高校が新校舎に移転するまで併設)。 1967年
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